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概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?18なり、免許状の授与権者を地方長官とし、「仮免許状は〔中略〕教員に採用する者に当日之を授与する」という方針に改められた。これは、当時における教員採用の実情に即した任用措置であった。このような法制の改革にともない、免許法成立までは暫定措置が継続することとなる。一九四七年六月に至ると、文部省は、国民学校本科準教員免許状を有する者、中等学校を卒業した者については、当分の間中学校助教諭仮免許状を有する者とみなし、また国民学校初等科教員免許状を有する者は、当分の間中学校教諭仮免許状を有する者とみなすことを指定し、告示している(文部省告示第九三号および第九四号)。教員水準のレベルダウンについては、すでに教育刷新委員会の中でも予想され、それに対する施策が求められていたのであるが、教員需給の実際の状況の中で、当面の文部省の暫定措置は、現実的な教員供給策をとらざるを得なかったとみることができる(4)。以上のような趨勢からみれば、小野は旧制の専門学校を卒業しており、本人の知らぬところから招聘があっても何ら不思議ではない。それでは、その後について、「日記」に沿ってみていきたい。一九四七年五月一五日、教員検定願を学校に提出、帰宅の後、教頭が来訪し、辞令は五月一〇日附で出ている旨を聞く。次いで五月一八日には、午前中、履歴書を書き、身体検査に行く。午後は適格審査の書類を用意する。そして、翌一九日には教壇に立っている。「日記」には「生徒に教へて見て、如何に教へると言ふ事が六むつヶか敷しいか。亦、自分の力の足い事を感ずると共に、教へる前は教へる事の十倍位い勉強してゐないと教へる事が出来ないと思つた」と記されている。招聘を承諾してから僅か数日であり、無理からぬところであろう。「日記」一九四七年六月一六日には「他のクラスに負けないクラスにしなければならない。お互に和かな気持を持たせる必要がある」とあり、クラス担任も任されていたようである。また、六月一七日には、谷津海岸の潮干狩り(遠足)にも同行している。夏季休暇に入ると、教員認定講習が待っていた。「日記」一九四七年七月一五日には「夏期講習が二十一日からある。それに合格しなければ教員の資格がないそうである。これには恐威を感じる」と記されている。実際のところ、新しい免許制度は、一九四九(昭和二四)年五月三一日公布の「教育職員免許法」(法律第