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概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?12院大學に通学し、新制度のもとでの公立中学校教諭(国語)の免許を得ている。他方、父の小野十生は、小野派一刀流の相伝者で、剣道九段範士。国士舘専門学校でも教鞭を執るなど、剣道界における重鎮であったことから、小野自身も九歳頃より剣道を始めていて、熱い思いも持ち合わせていた。そうした背景もあって、一九五四(昭和二九)年になると、世田谷豪徳寺商店街中にあった躋せい壽じゅ堂どう道場師範を委ねられる。これは、世田谷区剣道連盟初代会長であった伊籐京逸氏により、剣道教育の実践を高く評価され、世田谷区剣道連盟の少年指導を任されたことにある。その教え子たちは世田谷区剣道連盟傘下の団体リーダーになるなど、人材の育成にも手腕を振った(二〇〇七[平成一九]年頃まで勤めたという)。また、一九七四(昭和四九)年には、小野派一刀流免許皆伝。剣道界および世田谷地域を中心とした教育、人材育成に大きな足跡を残した生涯であった。さて、「小野寅生日記」(以下、「日記」と略す)であるが、記録期間も長く、その多くが残されている。そのうち、今回使用させていただくのは、B5判の大学ノート四冊、記録期間は、一九四三(昭和一八)年一二月一〇日から一九四八(昭和二三)年三月二九日のものである。すなわち、専門学校生時代と卒業してからの約一年間である。詳しくは後述するが、小野は、卒業後、中学校教師を任じることになるが、その最初の年度までの記録である。「日記」からは、専門学校における教員からの訓話、学徒勤労動員、新たな教育制度のもとでの教員生活、組合活動などの諸相がリアルに記されている。また、今まで伝聞でしかなかったCIE(民間情報教育局)局長ニューゼントが国士舘に来訪していたことについても確認できた。そこで、そうした事項について法令等を確認すると共に、そこからはみることができない実態を「日記」によって迫ってみたい。一 国士舘での教え「日記」は、一九四三年一二月一〇日から記されているが、時局の影響もあり、授業そのものに関する記載は見当たらない。しかしながら、「小川先生御話」、「館長先生御訓示」等々、教員の教えは少なからず書き留められている。これは、学生を集めての講話が日常的に行われていたことを示すものであり、一九四五(昭和二〇)年三月の「決戦教育措置要綱」の発令により、一年間の