ブックタイトル国士舘史研究年報第7号

ページ
132/182

このページは 国士舘史研究年報第7号 の電子ブックに掲載されている132ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?130クラブ活動を通して、青少年への指導の責任性を強く感ずる様になったと言えます。その後、私は銃剣道部監督となりました。忘れられない出来事として銃剣道部創設から八年目の昭和五九年六月でした。全国並北陸銃剣道大会(現全国銃剣道能美大会)で一度も勝てなかった防衛大学校と新進気鋭の山梨学院大学を破り、初優勝したことです。また、平成二六年四月に第五八回全日本銃剣道優勝大会で一五年振りに一般第二部で団体優勝を果たした銃剣道部は、五月三〇日にNHK海外向け番組「スポーツ・ジャパン」の銃剣道を紹介する取材を受けることとなりました。その折に「日本古来の槍術の粋を集大成して編み出された銃剣道の技が、"突き"のみに特化した理由」を質問されたのです。剣道の有効打突部位は「線」になっていると説明できますが、銃剣道の場合は「点」であることが特長です。したがって技を決める上で間合い(相手との距離)が最も重要になります。銃剣道は、斬る・薙なぐ・打つなどの不確実な打突を排して「突き」のみの技に特化しました。そんな中で私事ではありますが、平成二〇年に、長男が国士舘の政経学部経営学科を卒業しました。長女は、第34 回全日本学生銃剣道選手権大会(後列左より3 人目筆者)