ブックタイトル国士舘史研究年報第7号

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概要

国士舘史研究年報第7号

食堂アルバイトと寮生活で得たもの123けでなく一生懸命努力している同僚が存在して居た事も知っている。田舎に帰って大いに美酒に酔ったことは言うまでもありません。休業中の収入源となったアルバイト先高松電話局建設現場(夏休)東横白木屋デパートの配達(冬休)前川製氷会社 目黒 夜勤 (夏休)国分商事スクラップ工場 池袋(冬休)餅つき屋 夜勤 三軒茶屋(冬休)大学の夜警(冬休)当時の生活状況散髪代二五○円 風呂代一六円~一九円牛乳代一九円 切手代一○円 映画代一○○円日当三五○~四○○円(スクラップ工場八○○円)奨学資金も含めて四年間で五八万七一七六円追想 阿野 廣先生を偲んで昭和三九年四月、卒業と同時に公立高校の保健体育の教師に採用され、教育界・体育界の発展にご尽力される。特に陸上競技の走高跳では県代表の国体選手とし活躍される。永年の勤務と部活動の指導などの功績を高く評価され、文化の日には教育功労賞を受賞される。また、香川県支部同窓会活動では副会長として支部の発展と活性化のために多大のご尽力を賜る。平成二六年三月中旬頃から、体調不良を訴えていたが今年初め頃症状が悪化する。心配して後輩の川西和夫氏(須崎市)が駆けつけて来る。二月頃には同期の下城重喜氏(大分)が訪ねて来るから、と言って直接本人から連絡を受けご自宅にうかがう。その日午後九時三○分頃までお邪魔しました。別れ際に「今度会う時には全快祝いをするぞ」と言って別れる。下城さんは阿野さん宅で起居を伴に一泊した。四月突然の悲報を聞き唖然とする。生前には「財産を残すより人材を残さないかん」と言っていた言葉が強く印象に残りました。労苦を共にして来た学生時代だけに誠に無念です。在学中には食堂でのアルバイトで自立して働き、誠実で責任感が強く、実行力を思う存分発揮されました。忘れないある日の出来ごと。就寝中に停電があり、私と鈴木さんが寝過ごして遅刻、慌て食堂に駆けつけると、ローソクの明かりの中で、阿野さん一人が黙々と働