ブックタイトル国士舘史研究年報第7号

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概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?116うけたが、幸いに生徒からは一人の怪我人も出なかった。ただ、迎えうつ日本機は一機もなく、なすままにされた悔しさは今でも残っている。こうした戦争のまっただなか、勉強だけは厳しくやったつもりでいる。ほとんどの校舎が焼け落ち、焼け残ったひとつが「大講堂」である。反り返った屋根は瓦でおゝわれ、歴史ある著名なお寺のような建物だった。入学当時に大講堂を見た時、その威風堂々とした風体に圧倒され、果たして我々が内部に入れるのかと思ったほど、神聖な場所に見えた。かつて、この大講堂で、私たち生徒はびっしり敷かれた畳の上に正座して、徳富蘇峰先生、中野正剛先生といった大物政治家のお話を拝聴した記憶がある。真白い頭髪を耳まで下げ、静かな口調でお話をされた蘇峰先生のお姿が今でも印象に残っている。話はそれるが、その大講堂で国語の試験があった。私は紙にかいたアンチョコを畳と畳の間に差し込み、それを見て答案用紙に書きこんだ覚えがある。今では笑って云えるが、当時はまさに恐怖の一瞬であった。忘れられないのが友人たちである。そして、当時、皆で歌った国士舘にまつわる創り歌である。「誠意、勤労、見識、気魄、これが天下の国士舘、よおい、よおい国士舘」「目黒川のすぐそばに、校舎も汚い国士舘、ツンツン、国士舘のすぐそばに、流れも汚い目黒川、ツンツン」皆で大きな声で歌った「ツンツン節」、まるで昨日のような気がしてならない。今でも桜の時期、目黒川の話がでると、つい口ずさんでしまう。この原稿を執筆しながらも、口ずさんでしまった。懐かしい。将来の日本を語りあった同級生の皆さん、そして、共にラッパを吹奏した今村君、戸谷君、森君、境君、いま、どうしておられるだろうか。お元気だろうか。国士舘中学校時代の思い出話を一堂に集って語りあいたい。私はいつも、そう思っている。 了