ブックタイトル国士舘史研究年報第7号

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概要

国士舘史研究年報第7号

我が青春・国士舘中学校時代の思い出113ば敬礼のまま、姿が見えなくなるまで見送らねばならなかった。まさに緊張の連続だった。洋館風の木造校舎は古びていたが、正門入口の部屋は多分職員室だったと記憶している。なお、校舎が土足厳禁ということはなかったと思う。当時は、編上げ靴の上からゲートルを巻いていたが、靴の脱ぎ履きが面倒くさかったという思い出はまったくない。校舎に沿って長く広い運動場、まわりは緑に包まれていた。朝礼はそこで行われた。柴田德次郎舘長を先頭に、柴田梵天副舘長、口髭を左右にピンとはねあげた初老の陸軍中佐が乗馬姿で乗り入れ、それに諸先生方が徒歩で続いた。口を真一文字に結び、「頭なか」の号令に舘長は挙手の礼で答えた姿が今でも脳裏に焼きついている。柴田舘長の訓示は、日本の将来についてではなかったかと思う。その声は張りがあり、広い校庭に響きわたった。校地には、大講堂を中心に剣道場・柔道場があり、そのなかで目を引いたのが厩舎である。数頭の馬がいたと思うが、上級生の手によって清掃されていた。厩舎独得の臭いが私にとってはたまらない魅力であった。この馬は柴田德次郎舘長、柴田梵天副舘長はじめ、配属将校先生らがお乗りになる馬である。授業終了後、厩舎を訪れて馬と会話するのが楽しみのひとつであった。そんなこともあって、しばらくたった或る日に上級生から「お前は何の部に入りたいか」と聞かれた際、私は迷うことなく「乗馬部」と答えたが、まったく相手にされなかった。身長一五〇㎝以下では当然だろうと思った。「ならばラッパ部はどうか」と云われ、しぶしぶ入部したのが「音楽部」であった。授業を終えて仲間五人と猛特訓がはじまった。やがてその成果が実を結び、〝秋の大運動会〟で競技開始のラッパを高らかに吹奏したのである。柴田舘長はじめ多数の父兄が見守るなかであり、その感激は今でもわすれない。このほか、学校が最も力を入れていたのが「剣道」と「柔道」である。寒稽古と称し、全員が寮に入り、夜中の三時頃から稽古に入るのである。冷えきった剣道場の板の間は氷のようであった。しばらく正座して精神統一をはかり、稽古に入るのだが、その間、トイレにも行かせてもらえないほどの厳しいものだった。夜がしらじらと明ける頃、稽古が終了。出された朝食