ブックタイトル国士舘史研究年報第7号

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概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?112善商業学校」(現保善高等学校)に、私は軍人になりたくて国士舘中学校に入学した。詰襟の制服にゲートルを巻き、白いカバンを肩からぶら下げ、軍人気どりで勢いよく家を飛びだした記憶がある。京王線「笹塚」駅から「下高井戸」駅で〝玉電〟(現東急世田谷線)に乗換え、「松陰神社前」駅までの通学だった。当時の玉電は、今でいう昭和初期の〝チンチン電車〟である。乗降場所は鎖でつながれ、その鎖をはずして客室に入るのだが、私はそのままデッキに立ち、運転手さんと一緒に通学した覚えがある。「下高井戸」駅から「松陰神社前」駅までの車窓は家もなく、ただ畑ばかりの田園風景だった。夏は心地よい風に吹かれ、何ともいえない気分にひたったものである。私が国士舘に入学した昭和一七年頃、日本は連戦連勝から押され気味となり、国内は緊張した空気に包まれていた。こうした雰囲気のなか、一年生の私などは学校に着くまでが大変だった。上級生に会えば敬礼、先生とも会え大講堂外観(昭和18 年3 月 中学校卒業アルバムより)