
大講堂にまつわる物語を紐解いてみよう
国士舘大学の世田谷キャンパスを訪れると、ふっとそこだけ時の流れがとまったように感じる空間と出会います。ここ「大講堂」は、1919年(大正8年)に建設された由緒ある建造物。およそ100年の時を経て、2017年に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。創立当時から現在に至るまで国士舘のシンボルとなっています。
「有形文化財」登録認定には、きちんと理由があります
大講堂は何の目的で建てられたのでしょう。そのルーツをたどると、1917年(大正6年)に、現在の港区南青山の地に創立した国士舘が、世田谷キャンパスの地に移転した際に建造されたのがはじまりです。創立から2年後の1919年(大正8年)のことでした。

16万余名の学生たちを見守ってきた、100年の歳月
建設当時、大講堂はその名の通り、学生たちが学業に励むための講堂・・・すなわち「教室」でした。大学という最高学府で勉学に励む若者たちが、畳の間に並んだ机に肩を並べて、講義を聞くさまは真剣そのものでした。創立者・柴田德次郎による舘長訓話や著名人による講演、式典などにも使用され、大学の要となっていったのです。1945年(昭和20年)東京大空襲でも、学生や教職員が力をあわせ、大講堂は焼失を免れました。

それから年月を経て、大講堂の周りには新しい校舎が立ち並び、大講堂は学び舎としての役目を終えましたが、現在は国士舘のシンボルとして、オープンキャンパスや学園祭、サークル活動での使用、新入生ガイダンス、さまざまな式典、講演会など、催しの際に公開されています。そして2017年10月27日、完成当時と変わらぬ姿で現存している唯一の建造物として、栄誉ある「国登録有形文化財(建造物)」に登録されました。
大講堂で味わう、ひとときのタイムスリップ

国士舘大学世田谷キャンパスは、世田谷有数のパワースポット「松陰神社」に隣接しています。松陰神社は幕末の思想家・吉田松陰をまつり1882年(明治15年)に創建された神社ですが、吉田松陰の精神を模範として創立した国士舘にとっても縁が深く、現在の地に根ざして発展してきた大学の歩みを語る上でも欠かすことのできない存在でもあります。
長年の時を経た大講堂には、神社の社殿とも似た風情や落ち着いた佇まいが漂っています。国士舘大学を訪れた方々が大講堂に心惹かれるのは、この地で学んできた多くの人々の、ひたむきな情熱が、いまも宿っているからなのかもしれませんね。



大講堂の中で目を閉じると静寂が訪れ、まるで昔にタイムスリップしたかのような気持ちを味わえます。かつて講堂からはみ出すほどに、熱い夢や希望を胸に抱いていた学生たち。彼らの姿がよみがえり、熱気で満ちた話し声が聞こえてくる気がしませんか?大講堂は、いかに時代が変わってもこの地に根ざし、国士舘100年の歩みを静かに見守り続けているのです。
是非とも一度訪れて、いにしえの空気を感じてみてくださいね。
国登録有形文化財「国士舘大講堂」の概要をご紹介します

●名称・・・国士舘大講堂(こくしかんだいこうどう)
●員数・・・1棟
●所在地・・・東京都世田谷区世田谷4丁目28番1号 国士舘大学世田谷キャンパス
●構造および形式・・・木造1階建て、入母屋造銅板平葺
●建築面積・・・285.34㎡
●延床面積・・・268.81㎡
●建設年代・・・大正8(1919)年上棟、1919(大正8)年9月完成/木造平屋 大正8年2月起工/同年9月完工
●特徴・・・大講堂は国士舘創立時の教育思想を反映し、伝統的であり、かつ象徴的な建物として寺院建築(本堂)風の建築様式を採用しています。上記の建築様式でありながら、小屋組には一部トラス工法を用いており、創建時には屋根を天然スレート葺きにするなど技術や材料に創意の跡がみられます。大正時代の社会的背景・風潮・教育史を知る上で貴重な建物と考えられています。
●評価・・・大講堂は以下の点で評価されています。
・これまでの講堂という分類における登録文化財としては、都内最古である。
また、和風意匠の講堂は全国的に類例が少なく、貴重である。
・改変は見られるものの、往時の姿をよく留めている。
・大講堂は国士舘建学の象徴として創建時から唯一の建物である。