国士舘要覧 2014
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 日本は明治維新後、西洋文明を積極的に受容し、社会の近代化を急速に推進してきました。このため社会はおおいに伸張を遂げましたが、あまりに急激な近代化であったため、伝統文化を破壊し、軽視する風潮さえ生じました。日露戦争後には、国内問題が悪化し国民意識が変化するなかで、さまざまな社会問題が発生し、深刻な社会不安が引き起こされました。 このような当時の社会状況を憂い、柴田德次郎ら有志は、日本の「革新」をはからんと、「社会改良」と「青年指導」を目的として1913(大正2)年「青年大民団」を組織し、1917(大正6)年、「活学を講ず」の宣言とともに、私塾「國士館」を創立するに至りました。 創立者たちのねらいは、吉田松陰の精神を範とし、教学の適地として世田谷の松陰神社隣接地に学舎を建設し、「国士舘設立趣旨」で謳われているように、日々の「実践」のなかから心身の鍛錬と人格の陶冶をはかり、国家社会に貢献する智力と胆力を備えた人材「国士」を養成することにありました。 以来、「国士」養成を理念として、学ぶ者みずからが不断の「読書・体験・反省」の三網領を実践しつつ、「誠意・勤労・見識・気魄」の四徳目を涵養することを教育理念に掲げ、さまざまな分野で活躍する人材を世に輩出してきました。 今日、国士舘は、このような建学の志を大切に継承しながら、新たに発展を遂げた研究教育の諸領域でも、知識と実践の水準を高めつつ、世界の平和と進運を目指し、現代社会に積極的に貢献する真摯な努力を続けています。建学の由来と理念

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