国士舘大学学生寮利用の手引き
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寮りょうの沿えん革かくと伝でん統とう国こく士し舘かんは、1958(昭しょう和わ33)年ねんの大だい学がく創そう設せつ以い降こう、高こう度ど経けい済ざい成せい長ちょうとともに急きゅう速そくに飛ひ躍やくを遂とげ、1966(昭しょう和わ41)年ねんには、大だい学がく院いん2研けん究きゅう科か、大だい学がく6学がく部ぶ、短たん期き大だい学がく2学がっ科か、高こう等とう学がっ校こう、中ちゅう学がっ校こうを擁ようする総そう合ごう学がく園えんに大おおきく発はっ展てんします。急きゅう増ぞうする学がく生せい・生せい徒とのために、本ほん学がくは各かく校こう地ち(キャンパス)の整せい備びとあわせて、随ずい時じ、寮りょうの新しん設せつが行おこなわれてきました。世せ田た谷がや校こう地ちには、1965(昭しょう和わ40)年ねん頃ごろ、男だん子し寮りょうとして、専せん門もん学がっ校こう草そう創そう期きより続つづく正せい気き寮りょう・時じ習しゅう寮りょう(共ともに10号ごう館かん建けん設せつ時じ解かい体たい)、青せい雲うん寮りょう(3号ごう館かん内ない)、富ふ士じ見み寮りょう(8号ごう館かん4・5階かい)、錦きん楓ぷう寮りょう(5号ごう館かん屋おく上じょう)など、また女じょ子し寮りょうとして、常ときわ盤寮りょう(現げん1号ごう館かん北きた)・松しょう柏はく寮りょう(第だい1体たい育いく館かん内ない)など、数かず多おおくの寮りょうが設もうけられていました。その後ご、1966(昭しょう和わ41)年ねんに清せい節せつ寮りょう(現げんゲストハウス)、1968(昭しょう和わ43)年ねんには松しょう陰いん寮りょう(現げん24号ごう館かん〈松しょう陰いん寮りょう〉)が建けん設せつされました。鶴つる川かわ校こう地ちでは、1967(昭しょう和わ42)年ねんに望ぼう岳がく寮りょう(現げん12号ごう館かん・鶴つる川かわ寮りょう)が完かん成せいし、1970(昭しょう和わ45)年ねん頃ごろには女じょ子し寮りょうのすみれ寮りょう(望ぼう岳がく寮りょう内ない)が併へい設せつされています。これらの寮りょうは、時じ代だいとともに需じゅ要ようは低てい下かし、また校こう地ち(キャンパス)の整せい備びとあわせて、しだいに減げん少しょうし現げん在ざいに至いたっていますが、寮りょうの役やく割わりは有ゆう意い義ぎな学がく生せい生せい活かつを過すごすためにあることは、現げん在ざいでも変かわっていません。共きょう同どう生せい活かつを通つうじて、規き則そく正ただしい生せい活かつと心しん身しんの鍛たん錬れんによって、真しんの人にん間げん形けい成せいを育はぐくむことが、国こく士し舘かんの寮りょうにおける学がく生せい生せい活かつの意い義ぎなのです。▲望岳寮(昭和42年竣工)◀自習する女子寮生

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