国士舘大学キャンパス手帳2020
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吉田松陰に私淑して、私塾「國士館」を創立創 立 者 柴田 德次郎(1890ー1973) 国士舘の創立者 柴田德次郎は、1890(明治23)年に福岡県那珂郡岩戸村の村長の四男として生まれました。しかし、その後、家は凋落、学問を志し15歳で単身上京します。 東京での生活は苦しいものでした。牛乳配達をしながら芝中学を卒業、早稲田大学へと進みますが、極度の疲労からノイローゼを患い、一時は自殺さえ考えたほどであったといいます。 そんな彼を救ったのは、母の深い慈愛でした。母の想いに支えられ、再び理想へ向かって歩み始めた彼は、頭山満、三浦梧楼らの協力を得て、国士舘の母体である「青年大民団」を結成します。時に1913(大正2)年のことでした。 青年大民団は、明治維新以降の急激な西洋化・近代化の流れの中で、廃れ消えゆこうとする日本の姿を憂い、愛国精神に燃える青年たちが組織した社会改良団体です。精力的な活動を展開していた青年大民団は、日本の未来のためには教育の充実が重要であると考え、1917(大正6)年、柴田德次郎26歳の時に、現在の南青山に私塾「國士館」を開きました。これが国士舘大学の前身です。 私塾「國士館」のモデルとなったのは、江戸末期に吉田松陰が教えを説いた松下村塾でした。松陰に私淑していた柴田は、「大正の松下村塾」をめざし、日本の未来を託すべき人材の養成に着手したのです。 その後、聴講生の増加に伴って建物が手狭になり、松陰ゆかりの地、世田谷の松陰祠畔へ移転。さらに高等部設立、中等部設立、中学校・商業学校・専門学校の設立と、柴田德次郎の理想は着実に実現へ向かって進められていきました。

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