国士舘大学キャンパスガイド2025
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吉田松陰に私淑して、私塾「國士館」を創立創 立 者 柴田 德次郎(1890ー1973) 国士舘の創立者柴田德次郎は、1890(明治23)年に福岡県那珂郡岩戸村(現那珂川市)の農家の四男として生まれました。しかしその後、柴田家は凋落、柴田は学問を志し15歳で単身上京します。 東京での生活は苦しいものでした。新聞配達や牛乳配達で生計を立てながら芝中学校を卒業、早稲田大学専門部へと進みますが、極度の疲労から精神疾患を患い、一時は自ら命を絶つことさえ考えたほどであったといいます。 そんな柴田を救ったのは、母の深い慈愛でした。母の想いに支えられ、再び理想へ向かって歩み始めた柴田は、1913(大正2)年に頭山満・三浦梧楼ら各界名士の支援を得て、国士舘の母体となる「青年大民団」を結成します。 青年大民団は、明治維新後の急速な西洋化・近代化の流れの中で、廃れつつある日本の伝統的な姿を憂いた青年らが“興国救世”の大理想を掲げた団体でした。主に言論活動を展開した青年大民団は、日本の未来には教育の充実が重要と考え、1917(大正6)年11月、柴田26歳の時、麻布区笄町(現港区南青山)の地に私塾「國士館」を創立しました。これが国士舘大学の前身です。 私塾「國士館」の理想としたのは、江戸末期の思想家 吉田松陰が教えた松下村塾でした。松陰に私淑していた柴田は、「大正の松下村塾」をめざし、日本の未来を託すべき「真の智識人」の養成に着手したのです。 その後、手狭となった笄町から、松陰ゆかりの地、世田谷の松陰神社隣接地へ移転し、大講堂のほか諸施設を整備。教育の基盤を得た国士舘は、高等部・中等部をはじめ中学校、商業学校、専門学校を設置し、その理想を実現していきました。

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