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授業ルポ

日本文学・文化専攻

日本近代文学・文化講読A -vol.2-

日本近代文学・文化講読A -vol.2-

1・2年生を対象とした、日本文学・文化専攻の講義。日本近代における文学作品を取り上げ、読書、分析の仕方を体得し、基礎をしっかりと固めながら、昭和期の文学や文化について理解を深めていく。2010年度は、前年の太宰治生誕100年を記念し、彼の作品を扱っている。

文の構造から作品の魅力にせまる

平講師は、プロジェクターを使ってさらに深く解説を始めた。小説は、通常、一人称小説(主人公=僕、私など)や、三人称小説(主人公=彼、彼女、メロスなど)に分けられる。平講師は、まず、(1)普通の一人称小説の場合、(2)三人称小説の場合、(3)今回の『葉桜と魔笛』の場合について、それぞれの登場人物と語り手の関係図を表示し、細かく説明を加えていった。そして、「と、その老夫人は物語る。」という一文があった場合、なかった場合をそれぞれ読み比べながら、検証していく。
その結果、この作品は特殊な一人称小説であり、この一文をなくしてしまっても小説としては成り立つものの、このたった数文字の文章が入ることで、隠れた二人称を利用し、読者自身がまるで聞き手として登場人物になったかのような気持にさせる、巧妙な構造を形作っているという結論に至った。

太宰流、読者をひきつけるテクニック

登場人物が読者に語りかけているような構造は、太宰の他の作品にも見られる。昭和15年に発表された『駈込み訴え』は、「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。」で始まる。また、『風の便り』『トカトントン』は「拝啓」から始まる受取人不明のような手紙文だ。
『駈込み訴え』は「旦那さま」が自分であるような、後の2作品は自分が手紙の受取人になったような、そんな錯覚を受ける。学生たちは、平講師の朗読と解説を聞きながら、それぞれの作品の構造について確認していった。
こうした独特な文章構造を、太宰研究の第一人者として知られる奥野健男は、“潜在的二人称”と名付けた。このあと、その奥野氏の『太宰治再説』の解説が行われ、講義は終了した。

「近代文学=かたくるしい」/「太宰治=暗い」という“イメージ”から脱却しよう

本講座は、1・2年生向けの基礎を固める春期開講の講座である。開講中に扱った『黄金風景』『I can speak』『畜犬談』などの作品には、太宰治のイメージのひとつである暗さはあまり感じられない。そして、軽妙な文章には堅苦しさもない。
「“近代文学=かたくるしい”、太宰治は暗い、“太宰=走れメロス”というように、昨今はイメージが固定化されている部分があります。でも、大学で勉強するのならば、そのような与えられたイメージだけを信じていてはダメ。実際に小説をしっかり読んでそのイメージ通りなのかを自分で確認してほしい。そして同時に、文学は楽しいものだと実感していって欲しい」と平講師は笑顔で語る。
出席カードに書かれた学生の感想には「太宰は女性の心理を描くのが上手で驚いた」「さまざまな作品を読み、太宰のイメージがガラッと変わった」「いつの間にか、自分が小説のトリックに誘い込まれていたことを知って、びっくりした」といったものがあった。学生たちは、多数の太宰作品を読むうちに、勝手に抱いていたイメージから脱却し、独自の論を持つようになってきたのだろう。こうしたアプローチの仕方は、もちろん他の作家の作品を読む際にも共通する。そんな文学研究のスタイルに慣れ、自分独自のしっかりとした考えを形作っていくのも、この講義の狙いなのである。

講義情報

この講義の担当は…
平 浩一
この講義の関連情報
シラバス「日本近代文学・文化講読A」(対象:日本文学文化 1・2年 春期)