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実はファースト・レディがヴォーク誌の顔となったのは、ミシェル・オバマが初めてではありません。2008年の選挙戦で、夫のバラク・オバマと最後まで民主党の大統領候補者の指名を争ったヒラリー・ロダム・クリントンがファースト・レディだった1998年当時、すでにヴォークの表紙を飾っています。(ヒラリー・クリントンの経歴については、写真のキャプションを見てください。)ミシェルはこの雑誌の「カバー・ガール」となった二番目のファースト・レディになるのです。
国の顔である大統領とその一家に注目が集まるのは当然のことですが、女性であるファースト・レディについては、「母として、妻として」の役割や、そのファッション、つまり伝統的な女性らしさの資質に人々の注目が集まりがちです。「私が大統領に当選すると、もれなくヒラリーがついてきます」と、夫である第42代大統領ビル・クリントンが冗談を言ったほど優秀で野心的な弁護士であったヒラリーでも、それは同じことでした。優秀であるかどうか、個人としてどのような貢献ができるかではなく、あの時の服が良かった・悪かった、クッキーを作るのがうまい・へただ、ヘアスタイルが変わった、太った、やせた、ということの方が大衆の関心事になってしまいがちなのです。妻や母としてではなく、職業人として優れていることを隠そうとしなかったファースト・レディ時代のヒラリーは、逆に強い反感を買ってしまうことすらありました。

*ヒラリー・ロダム・クリントン国務長官
(U.S.DEPARTMENT OF STATE)
ミシェルやバラク・オバマと同様、ヒラリー・クリントンも、弁護士の資格を持っています。夫であるビル・クリントンが大統領だった1993-2001の間は、ファースト・レディとしてホワイトハウスの住人となります。従来のファースト・レディの役割を超えた活躍をし、良く知られたところでは国民皆保険制度を成立させるために尽力しますが、この試みは失敗します。夫の任期満了後はニューヨーク州選出の上院議員となり、08年に大統領選予備選挙に出馬しました。現代のアメリカの大統領選挙では、二大政党である民主党と共和党がそれぞれ一人ずつ候補を立て、どちらの候補がより大統領としてふさわしいか、国民の審判を仰ぎます。(二大政党に所属しない独立した候補者が出馬することもありますが、基本的にはそれぞれの所属政党から、大統領候補としての指名を受けることが、大統領選挙戦のスタートラインに立つ前提条件となります。)ヒラリー・クリントンは最後まで所属政党である民主党からの指名をバラク・オバマと争い、敗れます。しかし彼女が民主党内で有力な政治家であることは疑いもない事実で、大統領に就任したオバマからの任命を受け、国務長官となりました。
ヒラリー・クリントンは、20世紀の最後のファースト・レディでした。1947年生まれの彼女は、60年代のウーマン・リブ運動に大きな影響を受けた人です。当時こうしたインテリの女性たちの間では、女らしさや美しさを否定することが女性の自立だと考える傾向にありました。若いころのヒラリーも化粧気のない顔に大きなメガネをかけ、ファッションには興味がない印象であることが多かったのです。夫のビルが政治家として有名になるにつれ、垢ぬけたヘアメイクにスカートやワンピース姿となりましたが、その後の政治家としてのヒラリー・クリントンは、パンツ・スーツ姿で闊歩していることがほとんどです。
それは女性差別なのか?
ミシェルが両親の期待に答え、苦労を重ねる努力を惜しまなかったこと、その結果全米屈指の名門校で学ぶ機会を得たこと、結婚し、母となっても常に働く女性であったこと、日本円に換算すると3000万円を超える年収を稼いでいた有能な法律家であること、これらはすべて疑いようもない事実です。それにもかかわらずマスコミが彼女について取り上げる話題が常にファッションであることについて、「女性の外見しか見ていない」「女性差別的である」という批判もあります。ある批評家は、新ファースト・レディが何を着ているかではなく、「彼女の耳と耳の間にあること」、つまり頭の中で何を考えているかを、今の10分の1の量も報道したら、アメリカ人はより実のある議論ができるようになるのに、と述べています。
しかし、ミシェルはあらゆる意味で21世紀の、新しいタイプのファースト・レディです。「中身か外見か」のどちらかのみで、あるいはそのふたつを分けて彼女を評価することは難しいのではないかと、私は考えます。ミシェルは、自分のファッションのポリシーは、「自分が好きなものを着ること」だと言います。信頼のおける何人かのファッション・アドバイザーがいるものの、スタイリストをつけてはおらず、最終的には自分の考えで何を着るかを選んでいるようです。しばしばファースト・レディの伝統からはずれると非難を受けるほど個性的な衣装を選ぶのは、広報担当者が選んだドレスをそのまま着せられているのではないことを示しているのでしょう。
ミシェルはヴォーク誌のインタビューに答え、女性は常に、自分たちを「幸せな気分にしてくれて、落ち着いていられて、美しいと感じることができるもの」を着て、「ファッションを楽しむべき」だと述べています。女性たちが長い間、容姿や服装などの見た目で自分の価値を推しはかられてきたことは事実でしょう。そうした歴史的な文脈の中で、着たものすべてがマスコミによって細かく分析され、批評、あるいは非難される立場にあるミシェルが、本当に「自分が好きなもの」を選びとるためには、精神的に自立し、自信を持っていなければ不可能です。時に批判も受ける彼女の大胆なファッションは、「女らしさや外見にこだわる・こだわらない」をひとつのフェミニズム達成度の指針とする20世紀的な価値観の枠を超えた、ミシェル・オバマという女性の完成された人格と充実した人生、成功と自由さを反映しているのではないでしょうか。

*2009年1月20日に行われた大統領就任式当日の写真。
(U.S. DEPARTMENT OF DEFENSE)
ミシェル・オバマは、キューバ生まれのアメリカ人、イサベル・トレドがデザインした、金色がかった黄緑のドレスと同素材のコートに身を包みました。トレドのアトリエには中国、韓国、ポーランド、イタリア、メキシコ、コロンビア出身のスタッフおり、さらに日本、ドイツ、カタールとブラジルから来た若いインターンが働いています。シカゴ・トリビューン紙は、アメリカの多民族性・多文化性が凝縮されたかのようなトレドの工房から生まれた衣装が、この日のファースト・レディに選ばれたことは、「究極のアメリカ製の夢」であると報じました。その一方で、ミシェルがこの日に黒人デザイナーの服を選ばなかったことに対し、一部の黒人活動家からは批判の声があがり、議論を呼んでいます。
もうひとつ、彼女が単に成功した現代の女性ではなく、成功した「黒人」女性であるという事実も忘れてはならないでしょう。「私は自分がファッショニスタだとは思いません。」ミシェルは3月9日号のピープル誌(People)のインタビューに答え、こう言っています。それにもかかわらずトップクラスのファッション誌であるヴォークの表紙に出たのは、それが自分の娘たちや、黒人の若い女性たちに良い影響を与えると思ったからだと言います。白人のモデルや女優だけではなく、黒人である自分が有名なファッション誌の「顔」になることで、「美しさとは何か、知性とは何か、何に価値を見出すか」について、皆が考え、議論するようになってくれたらいいと彼女は言います。ファースト・レディとなったミシェルは、アメリカの顔としての役割と同時に、黒人女性のロール・モデルという役割を担うことも自負しているのです。
一見表層的な、悪く言えばうわべを飾っているだけにも見えるファッションの下には、決して平坦ではなかったこれまでの人生の中で培ってきた、ミシェル・オバマの確固たる哲学があります。目まぐるしく変わる服やアクセサリーではなく、その哲学こそが、ミシェルのファッションを彼女の生き方を含めたひとつのスタイルにしているのだと私は考えます。大統領夫人としてどんな役割を果たしていくにせよ、ミシェル・オバマは今後も大きな存在感を発揮していくでしょう。このファースト・レディを通じて、アメリカ中、そして世界中の人々が、21世紀の新しい女性像を目にすることになりそうです。
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