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文学部 学びのコラム

鶴岡八幡宮の伝承と史実 -大銀杏を偲ぶ-

2010年04月28日

 2010年3月10日に鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れました。神奈川県指定の天然記念物であり、鶴岡八幡宮の神木として広く認められていた大銀杏が姿を消したのは、誠にいたましいことです。

写真1 鶴岡八幡宮の倒れた大銀杏
鎌倉を研究している私にとっても、非常に胸が痛むできことでした。現在では、写真のように、倒れた根本部分が整備されて残されています。そして10メートルほど離れたところには、幹の一部が移植されています。

写真2 鶴岡八幡宮の移植された大銀杏の幹
 鶴岡八幡宮の本殿にいたる階段の左側に、その大銀杏は立っていました。写真では、朽ちた根本が残されている場所です。伝承では樹齢千年ともいわれ、鎌倉幕府三代将軍の源実朝が暗殺された際に、実行犯で実朝の甥であった公曉がこの大銀杏に隠れていたという伝説も残っています。この伝説によって、かくれ銀杏ともよばれていました。形ある物はいつかその形をなくすのが道理とはいえ、観光客や市民に愛された大銀杏が倒れたのはとても残念なことです。そこでこのコラムでは、追悼の意味も込めて、歴史学的に鶴岡八幡宮の大銀杏について考えてみることにします。

写真3 鶴岡八幡宮の遠景
 歴史学の基本的な方法は、文字史料をもとに歴史を研究するというものです。この方法で、大銀杏にまつわる伝承を検証してみましょう。
 鎌倉幕府二代将軍源頼家の子であった公曉は、建保五年(1217)に鶴岡八幡宮寺の別当に就任しました。当時は神社にも僧侶が在籍して読経などをおこなうことが多く、鶴岡八幡宮もその例外ではありませんでした。ですから、厳密には「鶴岡八幡宮寺」とよぶのがふさわしいでしょう。別当とは、その団体の最高位者のことです。公曉は、鶴岡八幡宮寺の最高位に就任したことになります。彼はやがて、父頼家の死が三代将軍源実朝や北条氏の陰謀であると考えるようになり、実朝の暗殺を計画します。承久元年(1219)正月二十七日の夜、右大臣に就任したことを祝うために源実朝は鶴岡八幡宮寺を参詣しました。その帰り道に、実朝は公曉によって暗殺されたようです。当時のことを記す『吾妻鏡』は、その時の様子を次のように書いています。

当宮別当阿闍梨公暁、石階の際に窺い来たりて剣を取り、丞相を侵し奉る(原漢文)

 『吾妻鏡』とは、鎌倉時代後半に鎌倉幕府によって作成されたといわれる歴史書です。ある程度の脚色はありますが、おおむね信用できる史料と考えていいでしょう。そこには、「公曉が石の階段の端から剣をもって現れ、丞相(実朝)を殺害した」としか書かれていません。公曉が銀杏の木に隠れていたとは書かれていないのです。
 倒れてしまった大銀杏は樹齢千年という伝承をもっていました。実朝の暗殺は承久元年(1219)ですから、当時は樹齢二百年程度だったことになり、人が一人隠れるにはやや小さい気もします。いくつかの研究では、倒れてしまった銀杏は二代目で、公曉が隠れたのは先代の銀杏だったという説も出されていますが、果たして真相はどうでしょうか。
 樹木の専門家によると、年輪を見れば樹齢は推定できるとのことです。倒れてしまった大銀杏の年輪を見れば、その樹齢も科学的にはじき出すことは可能でしょう。しかし、そこまでするのは無粋というものですよね。伝承は伝承として尊重しなければなりません。それとはまた別に歴史学の研究も進めなければなりません。歴史を学ぶとき、伝承と史実の峻別が重要だということを改めて思い起こしつつ、この文章を、大銀杏を偲ぶための追悼の文としたいと思います。

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