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文学部 学びのコラム

なぜ日本人は旅行をして疲れてしまうのかvol.2

2010年01月05日

仕事としての観光???

 こうした日本人の行動は、観光地へ行った時にどの観光スポットを巡るかという問題とも連動しています。つまり手許の観光ガイドに写真付きで紹介されている観光スポット(いわば旅行ガイドによって「権威づけられた」、そこへ行ったのなら「当然見ておくべき」モノ)を押さえることで、とりあえず観光すべき場所はしっかり廻った、観光の義務は果たした、という感覚でしょうか。この義務を果たした、という感覚、一仕事終わったという感覚と似ていませんか。

 同様に、これは日本人だけがそうだとは言いませんが、有名観光地のいわゆる写真撮影スポットで記念写真を撮っている人が、日本人にはとくに多いような気がします(写真3)。その写真撮影スポットで撮った風景というのは、やはり旅行ガイドに写真付きで紹介されていることが多いのですが、多くの人がその決まり切った(ステレオタイプの)風景をカメラに納めることで満足し、あるいはやはりそれで一仕事終わったような気になっている…。

 観光すべき対象や写真撮影スポットだけではありません。食事どころからショッピング、おみやげに至るまで、写真付きで事細かに紹介しているのが日本の旅行ガイドブックの特徴ですが、これはともすれば、旅行ガイドに書いてある交通ルートで現地へ行き、そこに書いてある観光地を回り、そこに載っている写真と同じ風景を写真に納め、紹介されているお店でおすすめの料理を食べ、やはり紹介されている名物をおみやげに買って帰る、といった旅行のスタイルになりかねません。いわゆるマニュアル通りというやつです。

本当の「旅」とは

 事前に旅行ガイドを熟読して、観光地の知識を得ておくことは重要ですが、観光ガイドに載っているスポットだけが見所なのではありません(とくに日本の旅行ガイドはその傾向が強いと思います。当たり障りのない万人向きの無難な選定がなされているからです)。有名観光地の一本裏の路地であったり、市街地での何気ない移動の途中であったり、地元の人しか知らない穴場であったり、道に迷った結果偶然に出くわした場所であったり、新しい発見や新鮮な感動はどこに転がっているかわかりません。
 もちろん旅行ガイドを離れて勝手に歩いたからといって、そうそう感動と出会えるわけではありません。むしろ汗水垂らして歩き回ったあげくにハズレという場合だって多々あります。しかしだからこそ、予想もしないところで記憶に残る出会いや発見をしたときに得られる感動は大きいのでしょう。それが本当の「旅」ではないかと思います。

「旅」の本質はおそらくきわめて主観的なものであり、「自身の五感を使って非日常の場所を経験すること」と言い換えることができるでしょう。つまりは日常の中では経験できない、珍しい景色や音や匂い、あるいは初めて味わう料理や風の肌触りといったものを体験することが旅の本質的な部分であると考えられます。
 それは多くの場合、美しいものや珍しいものを直接体験したいという欲求につながっていると思われますが、しかしそれもあくまで主観的なものであり、いつでも誰にでも当てはまるような基準など存在しようもありません。したがって「旅」をするためには必ず沖縄やヨーロッパに行かなければならないというものではなく、例えば毎日通う通学路を一本はずれてこれまで一度も通ったことのない道に踏み出すだけで、それはもう旅であるとも言えるわけです。

 みなさんが子どもの頃、初めての遠足やディズニーランドへ行ったりしたとき、あちこち歩き回って肉体的にはへとへとに疲れたけれど、いろいろな楽しい思い出とともに興奮しながら家路についた経験はありませんか?理屈はそれといっしょで、本当に内容の充実した旅というものは、肉体的には疲れるはずです。なにしろ興味にひかれてあちこち探索しまくるわけですから。
 身体の疲れと心の充実は、相反するものではありません。「旅」や旅行に限らず何事もそうだと思いますが、原則として苦しい思いをしたぶんだけ、成就したときの達成感・満足感というものは比例して大きくなるものです。
 しかし、マニュアル化された旅行ガイドに従って他人と同じ行動を取るだけでは、予定された行程をこなしていくだけの、むしろ精神的な重荷になりかねません。こうした義務化された観光に、発見や感動を期待するのは無理というものでしょう。そういうスタイルの旅行は100%「再確認」の旅であって、もはや何の新鮮味も感動もないからです。気晴らし=レクリエーションをしているつもりなのに、多くの日本人が肉体的のみならず精神的にも疲労を感じてしまうのには、このあたりに問題があるのではないでしょうか。

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2009年12月21日

 よく、「休日なので気晴らしに旅行に行ったら、かえって疲れてしまった」という声を聞きます。私自身が直接聞いたわけではありませんが、テレビ番組などでレポーターが調査をすると、少なからぬ人が、疲れた疲れた、と言っているので、本当に疲れてしまう人が結構な数いるのでしょう。
 かつて私が20-30代の頃行っていたような、宿屋に泊まるのは6日に1日だけ、残りの5日は列車の座席で車中泊、早朝4時から歩いて市内観光を始め、朝食抜きで次の都市へ移動、昼食のパンをかじりながらやはり歩いて市内観光、さらに夕方から夜にかけてもう1都市見て、その日の夜行でまた移動、1日の歩行距離はざっと30㎞以上、というような無茶苦茶な旅ですと、たしかに「疲れる」のもやむを得ないわけですが(私はこれで毎回1か月で15㎏以上痩せました。そのたびに半月で元に戻りましたけど)、普通に電車やバスに乗り、ゆっくりと食事もいただき、適度に休みながら適度に観光地を巡って、遅くならないうちに帰路につくという、天使のような行程でも「疲れた」というのは、よく考えると不思議なことです。もともと仕事で疲れた心や体をリフレッシュするために気張らし(=余暇)があるのでしょうから、これでは本末転倒と言わざるを得ません。

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