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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘の設立とその時代91決して精神的人物を養成する道にあらず) 11 (」と捉える円了と、国士舘同人による同時代教育の形式主義的傾向への批判。③円了が人間教育の要点を「書籍の講釈や文字の説明のみを以てよくす可からず、必ず感化の力に依るを要するなり」として、その感化は「教師の心を以て生徒の心を動かす一種の以心伝心法なり) 11 (」とするのに対し、国士舘同人においても「活学の道場」のあり方は教え・学ぶものがともに膝を交えたもので、その関係は「心学なり、活学なり、信念の交感なり) 11 (」と表現されていたこと。④円了の教育目標として、「児童の精神を感発して国民的人物を養成すること[中略]日本国民としては其教育の神髄たる忠孝二道を全うして永く国体を維持する赤心を発揮せしめざるべからず) 11 (」と、国家有用の人材ないしは国事に貢献する国民の教育が目指されていたのに対し、国士舘同人においても文字通りの「国士」の養成を目的としていたこと) 11 (。の四点である。右にみたように、同時代の教育や、教育とはどのようなものであるかといった認識と、その上でどのような教育が目指されるべきかといった諸点につき、円了と国士舘は相似形をなしている。これを世代論的にみれば、円了が教育家に養成を呼びかけた「国民的人物」や、「国体を維持する赤心を発揮せしめざるべからず」との期待をかけた子どもないしは若者世代に、柴田德次郎(一八九〇~一九七三年)をはじめとする国士舘同人は位置している(例えば、円了の『教育的世界観及人生観』が刊行された年は、柴田が八歳の頃にあたる)。その世代差を考慮するとき、「円了の子ども」とすら呼びたくなるような象徴的な系譜ともいえる関係を、そこに見出すことができるだろうか。しかし仮に系譜関係を見出すにせよ、それでは国士舘の活学が円了の活学の引き写しかといえば、そうだとばかりは言えない。そこには国士舘(ひいてはその前身であり、一九一三年に結成された「青年大民団」)が活動した時代との関わりが抜きがたく存在する分だけ、円了の活学とは異なった表出の仕方をすることとなる。その表出を、本稿では生命主義的な文脈を含む、郊外地での学びと生活が相即した共同生活の実践というあり方に見出すのである。つまり私塾「国士館」における教育とは、明治期よりの活学の系譜と、大正生命主義的な時代思潮との交点に生起した実践であったと考えられよう。