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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘の設立とその時代89『教育的世界観及人生観』(表②)と題した著作を刊行している。この著作は円了の「平素小学教育に従事せる者に対する意見」として、それ以前よりの講演などをまとめたもので、内容は当時の教育家の社会的地位の低さを遺憾とし、「教育の業務は実に天職にして天幸を享有) 11 (」することを主張したものとなる。円了は一八八七年には現在の東洋大学の前身となる私塾「哲学館」を創立したように自身が教育家だが、同書は教育家の地位と待遇、小学教育の重要性から始まり、自然科学や哲学などの知見をいかしながら教育および教育家を論じていく。そのなかに「活学活書」の節が設けられるが、ここでの議論は、先に概観してきた活学の議論をほぼ包括するためすこし詳しくみておこう。まず、円了の言葉をいくつかに分けて引用する) 11 (。天地は我人の学校にして万物は我人の教師なることを開示せり、故に此天地此万物は自然に具備せる無限の学問、無限の書籍と謂ふべし、諸君の従事せる学校は死物にして此自然の学校は活物なり、諸君の研究せる学問は死学にして此自然の学問は活学なり、諸君の愛読せる書籍は死書にして此自然の書籍は活書なり、斯る活学活書は活眼を有するものにあらざれば知るべからず読むべからず、然るに諸君が自然の活学活書あるを知らざるは死学死書に心を奪はれたるに因るのみ、猶ほ維新以後我邦人が西洋の文物に心を奪はれたる為に自国の長所を忘れたるが如し、若し諸君が其心を一転して人間的教育、人間的学校の外に別に教育学校を求めんと欲せば忽ち活学活書の存するを知るべし、ここで述べられる自然は「日月星辰も山川草木も鳥獣魚虫も皆教育となりて) 11 (」とのように、人為の及ばない自然的環境のことを指すが、それとの対比において、人為としての教育(学校教育)や学問・書物は、死物や死学・死書と捉えられる。ただしその学校教育は否定されるものではなく、「唯之(自然―引用者註)を取捨し之を適用する丈は人為にして其他は皆自然なり、故に自然を離れて人為なしと謂ふて可なり」、「学校教育は自然的の教育を縮写して人間に示したるが如し」と認識され、そのなかで教育家は「自然教育の写真師若くは支店長と