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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?88ればただの奴隷であること(表⑤)、自然という良き教師が教育する学校で学び(例えば「郊外」で遊び)、そうではない死学をやめるべきこと(表⑥)、活学は書物によらず自らの体験によって身につけた学問であること、実際の業務のなかに学問もあること、知行合一であること(表⑧・⑩・⑪)、というように、学校もしくは書物だけでの勉強を批判し、それ以外の場所(自然環境や労働環境など)における経験知というべきものを重視する。表のうち、大隈重信(一八三八~一九二二年)による「活学問説は大間違ひ」との文言が見える論説(表⑦)は、一見すると活学批判のようだがそうではなく、学生の就職難・生活難にかこつけて主張される活学を批判するのであり、当世に主張される活学は「青年の勇気が足りない、熱心が足りない、意気を欠いて居ることの表白) 11 (」であるとの見方を示す。活学問云々ではなく、活きた人物か死んだ人物かの違いが問題だとの主張は、幕末維新の頃には尊皇派の志士として活動した大隈らしい叱咤とも言える。以上は大づかみではあるが、国語辞典の単語としては立項されずとも、明治の中後期頃より少なからぬ人々のあいだで活学(活学問)が口にされていた様子が浮かび上がってくるだろう。さて時期が前後したが、一八九八年には井上円了が表 「活学」「活学問」を扱った書物・雑誌記事見出し著者(論者)/書名(号数) 発行所/発行年月① 「活学問」三宅空々/『穎才新誌』(977) 頴才新誌社/ 1896.5② 「活学活書」井上円了/『教育的世界観及人生観』金港堂/ 1898.6③ 「活学者」平田勝馬編/『五十名家語録』鉄華書院/ 1898.10④ 「活学を修め活智を求むべし」菅緑陰/『成功要録』博文館/ 1899.12⑤ 「活学問」鈴木芳太郎/『活精神』文学同志会/ 1900.11⑥ 「死学を止めて活学を学べ」SN 生/『中学文壇』第9 年22 集(222) 北上屋書店/ 1907.11⑦ 「近時世に云ふ活学問説は大間違ひ 活人物と死人物如何」大隈重信/『商工世界太平洋』9(21) 博文館/ 1910.10⑧ 「死学活学」遠藤隆吉/『弘道』(245) 日本弘道会事務所/ 1912.8⑨ 「活学と活書」井上円了/『奮闘哲学』東亜堂書房/ 1917.6⑩ 「活学問の愉快此に在り」春花山人編/『修養叢書』第2 編立川文明堂/ 1918.2⑪ 「活学のこと」田部井文吉編/『新運命開拓論』東京美術画会/ 1919.3