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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘の設立とその時代872 「活学」の系譜この活学は、その前身もしくは参照点としては少なくとも明治二〇年代終わり頃より散見しうる。ここでは明治・大正期に論じられる活学を概観し、特に井上円了(一八五八~一九一九年)の議論に注目するなかで、改めて国士舘の活学が含む文脈とそのオリジナリティについて考えてみたい。国語辞典で活学の項目を確認しようとすると、明治期の『言海』(一八八二~一八八六年)、大正期の『大日本国語辞典』(一九一五~一九一九年)といった代表的な辞典類では確認できないものの、現代の『日本国語大辞典(第二版)』(二〇〇一年)では「活学問) 11 (」の項目においてわずかに認められる。しかしだからといって、明治・大正期において活学(または活学問)の語がまったく見られないかと言えばそうではない。活字で確認できる早い時期の例として、一八九六(明治二九)年五月の『穎才新誌』に三宅空々なる人物が寄せた「活学問」には、次のような一節がみられる。儀式的ニ、束縛的ニ、只学力ノミヲ養フニ全脳ヲ奪ハレ、[中略]人間的ニ活眼的ニ、之ヲ施シ之ヲ行ヒ、虎ヲ広野ニ放ツヲ知ラサレハナリ、活学問夫レ何処ニアル、抑萬巻ノ書、億兆ノ冊、之ヲ学ヒ、之ヲ習フモ、而モ之ヲ用ユルノ術ヲ知ラスンハ、[中略]仮令幾多ノ学ニ通セサルモ、人ニ於テ、物ニ於テ、所謂、人間的ニ、活眼的ニ、之ヲ使用スルノ法全ケレハ、偉人タリ、傑士タルニ於テ、亦何ヲカ憂ン) 11 (、これは、大望を抱いてもなぜそれが達成されないのかという文脈に出てくるものだが、大望を妨害するものとして「学力ノミヲ養フ」ことや、「万巻ノ書、億兆ノ冊」を学んでもそれを活かすことができない点が指摘される。十全に活かすためには「人間的ニ活眼的ニ」と述べられるが、ここで早くも「人間」が活学を論じる際のキーワードに現れている。右の議論以降にも、書物や雑誌のなかに活学(活学問)は散見される。以下、目につくものに限るが、国士舘創立前後の時期までのものを挙げれば次頁の表のようになる。ここでそのすべてに触れることはできないが、基本的な論調はそれぞれがおおよそ通じている。すなわち、学校での書物上の勉強も大切だがそれだけではない実際社会に目を注いだ「活学活智」が大切だとするもの(表④)、学校で学問をしてもそれを活用する技量がなけ