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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?86ことを確認したが、新教育にみられた生命主義的な文脈をも国士舘は共有している。それを考える糸口が、設立趣旨でもある「活学」である。ここで改めて、どのような意味で活学なる言葉が用いられているのかを検討するため、何が活学ではないと認識されているかも含め、設立趣旨のなかで主張される論点を次のように整理しておく。①物質文明の弊害と精神文明の欠落②無批判的な西洋化(西洋の「猿真似」)③教育制度・機関・教育者の形式主義右の三点は互いに関わりあうが、他の文面でも度々繰り返される) 1( (。これを敷衍すれば、文明の機器を扱うべき「精神」ひいては「人間」が欠如しており、(その時点の)日本文化は西洋文化を直訳した猿真似にすぎず、そのため「人間(国士舘においては「国士」)」を育てるべき教育がみられない……およそこのようにまとめられる。それらが主張される『大民』の言葉をいくつか引いてみれば、国家の最高学府たる帝国大学は骨抜きせる奴隷的の官吏養成所なり[中略]かくして智識の宝庫は天下に公開されざるなり。可し公開さるゝの日ありとするも、ノート式の講義は畢竟死学のみ、[中略]故に能く学ぶと称せらるる者も亦唯だ、所謂糞勉強するのみ、其漸く学校を終るや、一生の精力を消費し尽くして精神上のインポーテントとなり、[中略]かくして日本の教育は徹底せる舶来品にもあらず、純なる日本品にもあらざる、毒にも益にもならぬ間に合せ物となり、単なる死物となり終れり) 11 (。今日の我が教育制度と教育機関と自称教育者とは凡て生命なき死物である、由来日本の文教は人民を権者の道具となさんが為めの機関であつた) 11 (、(いずれも傍線は引用者)など、「死学」「インポーテント」「死物」「生命なき」といった生理的な表現も含め、当時の世相や教育を批判する点が見出せる。活学とは、それら「死学」「生命なき」ものに対して文字通りに「活きた学」「生命に満ちた」ものとして対置されていると言えよう。さらに、「死」や「生命」といった言葉からも明らかなように、ここには生命主義的な文脈も看取できるが、それは活学を媒介とした繋がりであることが判る。