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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘の設立とその時代81格、徴兵猶予など)を受けられるか否かはもとより、明治憲法や教育勅語の発布を背景とした国家主義の台頭など、イデオロギーへの対応にもあらわれていた。このような困難さは、時代が大正に入っても基本的には変わらない。むしろ日清・日露の二度の対外戦争を経ることで、戦争に伴う経済成長と産業構造・労働環境の変化、鉱毒問題なども含めた社会不安の拡大とそれと連動する労働争議の頻発、知識人を中心とした社会主義思想の活発化や普通選挙運動の盛り上がりなど、国内では様々な事案が問題として俎上に載せられる状況に伴い、国家や社会状況といった枠組みから完全に自由な私塾教育などはおよそ不可能でもある。なかでも一九一〇(明治四三)年の「大逆事件」前後の時期には、民心の引き締めを底意とする国民道徳論や家族国家観といった官製のイデオロギーも現れるが、およそこのような状況のなか、時代は大正を迎えていく。第一次世界大戦前後の日本では、経済発展と並行して自由主義思想も広がり、市民の権利への関心が高まりをみせる。いわゆる「大正デモクラシー」の広がりだが、その流れは教育界においても「大正自由主義教育」または「大正新教育」(以下、「新教育」)の思潮として現れた。この「新教育」とは、国家主義的な強まりを見せる教育政策のもつ「画一主義、注入主義、暗記主義的な教育方法を批判し、子どもの個性、自発性の尊重を主張) 11 (」した教育思想と実践を指す) 11 (。このような特徴を持つ新教育の理念と国士舘の設立の動機には、教育目的とする地平は同じでないとしても、それが同じ時代の空気を背景として現れたという意味で、ある共通性が見受けられる。国士舘の設立趣旨は「活学を講ず」の宣言に明らかだが、そこでは「物質文明の弊、日に甚だしく、人は唯科学智を重んじて、徳性の涵養を忘る」から始まる文言とともに、当時の教育について次のような認識を示している(なお「活学」については次節で検討する)。一国の最高学府は未た天下に公開されざるなり、若し公開さるるとするも、ノート式の講義は畢竟死学のみ、其説く処高遠深邃なるが如きも、遂に之れ形式範疇のみ、何等の情熱なく、信念なし、人を化する力なし、形式、規則、規律、試験、之れ今日の所謂教育なるものなり) 11 (。当時の高等教育を形式主義的なものと見なし、「形式、規則、規律、試験」といった内容では人を感化する