ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘の設立とその時代79学校通則」と呼ばれる通達である。たとえば前者では初等中学だけで四年間の課程とし、修身や和漢文その他を計一九科目教授することなどを定め、また後者ではその第四条には「中学校ハ教員中少クトモ三人ハ中学師範科ノ卒業証書又ハ大学科の卒業証書ヲ有スル者ヲ以テ、之ニ充ツヘキモノトス) (1 (」、続いて第五条には「中学校ハ修身其他諸科ノ教授上必須ノ図書及博物、物理、化学等ノ器械標本類ヲ備フヘキモノトス) (1 (」などと規定され、正規の中学校となるためのハードルは高められた) (1 (。以上を下地としつつ、一八八六年には「帝国大学令」、「中学校令」、「師範学校令」、「小学校令」などからなる「学校令」が公布された。まずは三月に帝国大学令が、四月には小学校令と中学校令が出される。小学校令は小学校の義務教育化を定めたもので、中学校令では中学校が尋常・高等の二段階をとり、「尋常中学校―高等中学校―帝国大学」の進学制度が整えられた。これによって「各種学校は正規の教育制度から明確に切り離され) 11 (」たと言える。さらに各種学校は、一八九〇年一〇月に改正された小学校令(第二次小学校令)のなかでは、私立ノ小学校・幼稚園・図書館・盲唖学校・其他小学校ニ類スル各種学校等ノ設立ハ、其設立者ニ於テ府県知事ノ許可ヲ受ケ、其廃止ハ之ヲ府県知事ニ上申スヘシ(第四一条) 1( ()と規定されたが、法令上は各種学校に関する文言はこの「小学校ニ類スル各種学校」が唯一のものであり、戦後の「学校教育法」(一九四七年)で明確な法的根拠を与えられるまで、各種学校となった私塾は小学校令において規定されるものであった) 11 (。2 国家主義と私塾ここまで見てきたように私塾は各種学校として括られ、その位置づけは年を経るごとに不安定であったと言えるが、官公立の学校の設置が整うまでは実質的な中等教育を担う機関として比較的に多くが存続しており、それらのなかには現在まで継続する学校も多々みられる。それら私塾(各種学校)のなかには宗教教育によるものも存在する。例えば、明治に入り解禁となったキリスト教および宣教師による私塾は一八七〇(明治三)年のフェリス女学校をはじめ、立教学院、女子学院、青山学院など、短期間のうちに多くが私塾として立ち上げられるが、一八八六年の学校令で一通りの制度的な枠組みが設けられて以降、宗教教育に対しても統制の矛先が向け