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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?76同体の設立や人間教育を目指した活動と国士舘とは、時代の文脈を共有する側面が認められる。それらに等しく影響が見え隠れする時代のキー・コンセプトは、「大正デモクラシー」や「大正自由教育」、「大正生命主義」といった大正期に特徴的な用語で語られる思潮が挙げられよう。先に触れた自由学園や玉川学園などについては、これまで自他ともにこの時代相の下に位置づけられてきたわけだが、国士舘の成り立ちや展開についても、このパースペクティブに絡めて検討していく余地があるのではないだろうか。その点を追究していくことは、同時に大正期における私塾経営の一面を考えることにも通じてゆくはずである。本稿は以上の見通しのもと、国士舘の設立趣旨や運営方針などを検討することで、国士舘と時代状況の交差する地点の前景化を試みる。さらに、国士舘の設立理念として掲げられる「活学」をあわせみることで、それが明治中期頃よりみられる言説とリンクするコンセプトでもあったことを指摘する。それによって国士舘の近代学校史、教育史における位置づけについて再検討していく視点を多少なりとも提案できればと考えている。まずは迂遠なようではあるが、明治期以降の私塾の位置づけや展開について概観することから始めてみたい。一 近代教育制度と私塾1 「学制」から「学校令」にかけて明治期の本格的な学校制度は一八七二(明治五)年の「学制」を嚆矢とするが、以後の一連の制度は「明治一九年体制(「学校令」―引用者註)への収斂過程) 3 (」であると言われる。ここでは「学校令」までを対象に、近代の教育制度と私塾の関係についてみていく。明治以前には全国で多くの私塾的な教育機関(寺子屋もふくむ)が開設・運営されていたが、学制が発布されて以降もなお多くの私塾が存在していた。この私塾の形式には、いくつかの種類が認められる。近世期からの寺子屋や私塾が引き続き運営されているもの、明治に入り新しく開設されたものの違いのほか、教授内容についても、読み書き(筆道、筆学など)を重視するものから国学や儒学といった高度な学問、英語やそれに付随するキリスト教などの洋学を教えるものまで、多様な状況を確認することができる) 4 (。先の学制は中央集権的な学校制度の設立を意図した近代教育の黎明を告げるものだが、私塾に関する規定は学制発布前にも既に認められる) 5 (。一八七〇年一二月二四日、明治政府は「太政官布告」に