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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘の設立とその時代75はじめに私塾「国士館」は一九一七(大正六)年一一月四日に設立されたが、この時代、一連の文部省令下の学校機関ではなく、あくまでも私塾) 1 (を出発としており、(後には文部省令下の正規の学校となるにせよ)現代まで継続する学校は珍しい。史資料類のまとまった類例としていますぐに思いつくものは、一九二一年に開校された「自由学園」や、「玉川学園(玉川塾)」(一九二九年)が挙げられるだろうか) 2 (。後者の玉川学園は創立者の小原國芳(一八八七~一九七七年)が「最後の私塾創設者」とも呼ばれることから、戦前までの私塾教育における一応の下限とみなせるが、私塾「国士館」(以下、私塾を指す場合は、史料からの引用を除いて「国士舘」とのみ表記)の設立とその後の動向もまた、近代学校史あるいは教育史研究の上からみて最後期に位置する私塾開設の事例と言えるであろう。学校史、教育史の上からみたときには、私塾にとって大正期は明治期以来より続く困難な時代であったとも言える。そのようななかで立ち上げられた国士舘の動向は、当時の時代相と突き合わせてみるとき、その経営や運営のあり方について興味深い一面がみられる。議論を若干先取りしてしまえば、同時代における「新教育」と呼ばれる教育思想や動向はもとより、「新しき村」(一九一八年)や「自由大学」(一九二一年)、「羅須地人協会」(一九二六年)といった、必ずしも正規の学校機関としてではないものの、地方・地域における新しい共平崎 真しん右すけ国士舘の設立とその時代  ―私塾、大正、活学の系譜―論文と資料紹介―論文