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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?52写真 52 1963年 5月 27 日 北東物置 写真 51 1942年頃 北西物置側(写真 49拡大)に奥一間の位置の一段低い高さで、鴨居、建具が建て込まれる。これは現存しない外便所入口と推定され、建築当時は廊下がそこまで伸びていたことが分かる。改修時期は不明であるが、外便所の解体以降の可能性が高い。後述するが、外便所の解体時期は一九六四~一九六六年頃と推定される。4 床? 広間・廊下広間と廊下は、現在、常時同一の畳を敷いているが、古写真を見ると、講演場、武道場、茶道場など、その用途に合わせて縁付き、縁なし畳を使い分けていたことが分かる。現状の畳を剥がすと、入側丸柱、および無目敷居の広間側の畳と接する部材面は経年劣化が進行していないため、建築当時より畳敷きであったと推定される【写真53】。同部材の廊下側を見ると、経年劣化状況が畳に接する面と畳上の丸柱表面と同じである【写真54】。廊下の巾木(現状は畳寄)も同様の経年劣化の状況であることから、廊下側は畳下まで露出していたと推定される【写真55】。なお、外部出入口の敷居は、現状、廊下畳床から畳の厚さ分低い位置に付いている。一九二八(昭和三)年頃、一九三六年頃の古写真【写真56・57】より、廊下に縁甲板が張られていることが分かる。足元をよく見ると縁甲板の出隅は角張り(隅を斜めに留める)とし、広間境の無目敷居は縁甲板より畳厚さ分、一段上がる。廊下の巾木は現状と同様の高さである。一九六七年頃の古写真【写真58】を見ると、廊下に見切り材が付いているが、床の縁甲板張りは残っている。現状の床への改修時期は、一九六八年以降と推定される。? 北東物置床は縁甲板張りで、廊下畳と同じ高さである。経年劣