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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?46式(一九一九年七月二七日)の写真【写真29・30】を見ると、入母屋妻つま面めん狐格子下の前包と野地板の隙間は薄く瓦を差し込む余地はないため、この時点ですでに瓦葺きではなくスレート葺きを想定していたことが分かる。一九一九(大正八)年一一月九日の落成式および開舘式の写真【写真31】には、竣工後の大講堂、本部棟、道場が写る。本部棟および道場の屋根は縦横線が写り瓦葺きと推定されるが、大講堂は下り棟、隅棟がなく、軒先がシャープで、かつ屋根面が平滑なため明らかに瓦葺きではない。スレート葺きであったことは、今回の調査で大講堂の小屋裏へ入った際、小屋梁上に天然スレートおよび防水紙の破片が数点落ちていたことからも窺い知ることができる【写真32】。以上より、大講堂は設計時、瓦葺き屋根で計画されたが、工事に当たって計画変更され、天然スレート葺き屋根で竣工したと推定される。? 金属板葺き屋根一九五七(昭和三二)年の写真【写真33】には、まだ天然スレート葺き屋根の大講堂が写る。一九五九年に撮影された世田谷校地全景の航空写真【写真34】には、白色の屋根が写る。天然素材の場合、日光が直射した場合でも屋根の全面が輝く白色で写らないことから、金属板葺き屋根と推定される。? 銅板葺き屋根一九八一(昭和五六)年頃の写真には銀色の金属板葺き屋根が写るが、一九八二年頃の写真には銅色に輝く銅板葺き屋根が写る【写真35・36】。二つの写真は、大講堂前の桜が開花し、梅の木に新緑の葉が芽吹いていることから春先に撮影されたものと推定される。また、一九八一年一二月二四日撮影の写真には大講堂の周りに工事用の足場が設置されており、この時点において銅板への葺き替え工事が竣工間近であったことが分かる【写真37・38】。また、工事内容についての詳細な記載はないが、大学で保管する一九八一年度の出納帳の三月三一日付の箇所に「大講堂屋根ふき替え修繕」との記載がある。以上から、現在の銅板葺き屋根への改修工事は、一九八一~一九八二年にかけて実施されたことが分かる。なお、大講堂が写るその他写真を比較すると、屋根廻りの工事に関連して下記の改修、修理工事が実施されたと推定できる。・破風、懸魚は、以前は木地表しであったが、銅板が新たに巻かれた。・垂木、隅木、縋る破風の木こ口ぐちに)(00 (銅板が巻かれた。