ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?146して、電通ビル八階で、新聞内報子十余名を相手に、「大民」の刷新計画を披露し、[後略](一九三九年一月二一日)注目すべきは、ここに登場する野田俊作、徳富蘇峰、松野鶴平、鳩山一郎、有田八郎、小坂順造、緒方竹虎らが、戦後に設けられた「国士舘大学維持員会」(一九五二年八月発足)のメンバーとなっていることである。すなわち、彼らは戦後においても柴田および国士舘の支援者となったのである。おわりに終戦後、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)により軍国主義者とされた政界、財界、官界から言論界に至る各界指導者たちは公職を追われた。その中には、戦前より国士舘を支えてきた人々も少なからず含まれていた。また、柴田もその一人であった。しかし、そうしたなかにあっても戦中期に根をもち、保守本流を形成する自由党系の幹部をGHQが公職追放しても何ら影響を与えなかったという評価がある(伊藤隆『昭和期の政治』山川出版社、一九八三年)。例えば、アメリカ国務省の在外機関の政治顧問部(POLAD)は、一九四五(昭和二〇)年一〇月一一日の報告書で、「鳩山の党は自由党というよりも保守党と命名した方がはるかによかろう。彼は新しいまたは革命的な見地を全く代表していない」と述べている。この評価は、戦時体制の時から変わらない自由党系の保守的性格を言い得ているといわれている(雨宮昭一『占領と改革』岩波書店、二〇〇八年)。戦前の保守勢力は、戦後に受け継がれたということができる。しかし、戦後、保守系の政治家たちは、それまでの思想的背景をもって活動を行うことは困難となった。また、持ち続けていたとしても、違った形をもって臨まねばならなかった。その一方、社会党系の躍進や欧米の自由主義、個人主義の流れもあり、戦前よりの日本的政治思想を重んじてきた保守系政治家や財界人の多くは、ある種の不安、すなわち、日本古来の伝統や道徳までもが失われてしまうのではなかろうか、といった想いを抱えていたであろうことは想像に難くない。こうした時期に国士舘では、戦前より変わらず「国の役に立つ人間を育てる」ことを打ち出していた。保守系の政治家や財界人のなかには柴田と親交を持つ者も多く、先に述べた国士舘維持員会のメンバーなどから国士