ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?144いている。二 国士舘関係者との交流と日刊紙『大民』次に、坂口と『大民』、そして柴田や国士舘関係者との繋がりをみていこう。以下、菊池知之編著『新聞人 坂口二郎 昭和編』(草文書林、一九九五年)所収の「日記・論説」(以下、「日記」と略す)などを中心に年次を追ってみていくことにする。坂口と国士舘との交流は、『大民』発刊以前より見受けられる。坂口は、一九二九(昭和四)年一月三〇日より六回にわたり国士舘における政治学の講義を担当している。また、一九二九年七月二日の「日記」によれば、「柴田国士館長来訪。来年度から国士館に新聞科を置くに就いて相談があった」とあり、学校運営について相談するなど坂口と柴田は公私にわたって親しい関係であった。こうした関係が、後の日刊紙『大民』の発刊に繋がっていく。すでに柴田は頭山満、徳富蘇峰らを中心とする国士舘維持委員会の歴々や、同郷の政財界の重鎮たちからも支援を受けていたが、昭和の初め頃よりは、坂口の関係筋からも多くの支援を得るようになっていったと考えられる。なかでも坂口は、戦後に内閣総理大臣となる鳩山一郎との関係が深く、戦前、鳩山が内閣書記官長や文部大臣といった政府の要職に就任すると、坂口は内閣嘱託や文部省嘱託に任命され、スピーチライターを務めた。また、坂口は徳富蘇峰とも浅からぬ縁をもっていた。蘇峰は、一九二九年一月、資本主である根津嘉一郎との衝突により、自ら創業した国民新聞社からの退社を余儀なくされた。この件について、「国民退社慰労会」に出席した坂口は、現代新聞が資本に圧迫される一現象であるとの感想を述べている。また、同年一〇月、坂口は帰省の車中において、蘇峰の『日本帝国の一転機』(民友社、一九二九年)を読んでいる。その内容は、世界現時の要求は政党政治の常套を超越した人物政治であり、その模範はイタリアにおけるムッソリーニであるというものであり、以後、坂口の論説はムッソリーニに対して好意的論調となった。この読書経験が日刊紙『大民』の信条となる排共産主義の主張に繋がったと考えられる。蘇峰もまた坂口を評価しており、日刊紙『大民』発刊に際しては、緒方竹虎、小坂順造らとともに後援者となっている。そして、日刊紙『大民』は、蘇峰の機関紙的存在となる(以上、菊池知之「解説」、前掲『新聞人 坂口二郎 昭和編』)。