ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

坂口 二郎143卒業した。その後、同年九月には、京都の第三高等学校に入学したが神経衰弱のために中退し、一九〇〇年九月、早稲田大学の前身である東京専門学校国語漢文及び英文学科に入学、一九〇四年三月に卒業した。卒業試験は二席であり、平均点八三・四四の好成績であった。翌一九〇五年一月、読売新聞社の前身である日就社に入社し、文芸欄を担当する。後には政治経済の編集主任なども歴任した。しかし、一九〇七年には退社している。これは、竹越与三郎(三さん叉さ)主筆の退社に殉じたと言われている。その後、同年一二月には萬朝報に入社。一九一四年の山本内閣倒閣運動では、黒くろ岩いわ涙るい香こう社主のもと編集主任を務め、一日数度の発売禁止も経験した。一九二〇年三月には、萬朝報で若手を起用するよう人事の刷新を建策したものの容れられなかったことから退社し、イギリス外遊の道を選んだ。同年七月七日、郵船阿波丸にて横浜を出帆。上海、香港、シンガポール、スエズを経由して、九月四日にロンドンに到着する。翌一九二一年五月には一カ月にわたり、イタリア、スイス、オーストリア、ドイツ、フランス等を巡り、同年八月にはスコットランドへも赴いている。そして、同年一〇月、ロンドンからアメリカ経由にて帰国の途につく。この外遊中には、福岡日日新聞に旅行記約一〇〇回、政治経済評論約一二〇回の連載をした。帰国後、一九二二年一月、中央新聞社(政友会機関紙『中央新聞』を発行)に入社して編集局長に就任した。また、外遊中の成果として、同年二月『欧米三十五都』、同年三月『英国政界の煩悶』(ともに下出書店)を出版し、『中央新聞』夕刊には三月三〇日より五月一二日まで三五回にわたり「新政友会論」を執筆した。七月になると編集局長兼編集長に就任し、一二月には『新政友会論』(中央新聞代理部)を出版している。同書は、政友会の理論的指針として政友会総裁ならびに党員に献ぜられた。一九二四年六月には中央新聞社を退社し、翌月、萬朝報編集局長に就任した。これは黒岩涙香社主が亡くなった後の萬朝報再建を託されたためであったが、不成功に終わったという。その後、一九二六年八月、福岡日日新聞在京客員(論説担当)に就任、一九三六年に同社顧問となるまで続いた。また、私生活では長い独身生活の後、一九三六年一〇月、五六歳の時に古賀春江(画家)の未亡人であるヨシヱと結婚した。一九三八年三月には、かねてより企画していたタブロイド版日刊紙について柴田と相談している。また、同年八月には、新聞協会派遣独伊親善新聞使節団員としてドイツ・イタリアへ赴