ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

ページ
144/182

このページは 国士舘史研究年報第9号 の電子ブックに掲載されている144ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?142民』は、社長・柴田德次郎、主筆・坂口二郎により発行された小型版日刊新聞である。「信条」としては「排共産主義 排反動主義 排独善主義」を謳っている。紙面はタブロイド版四頁からなる。創刊当時、柴田は国士舘を離れていたが、社長として経営に尽力し、一九四四年まで発刊を続けた。一方、主筆を務めた坂口は、明治末期から太平洋戦争頃まで、読売新聞・萬朝報・中央新聞・福岡日日新聞などでも活躍したジャーナリストである。実のところ、この日刊紙『大民』こそが、国士舘にとって戦後の最も苦しい時期を支えてくれた人々との繋がりを作ったと言っても過言ではない。つまりは、戦前・戦中に日刊紙『大民』を通して築かれた絆が戦後も引き継がれたのである。そして、そのキーパーソンであったのが坂口である。そこで本稿では、坂口と柴田・国士舘との関係をみていくこととする。また、戦前からの支援者が戦後も引き続き支援に応じた理由、また、支援者たちが何を国士舘に期待したのかといった点についても考えてみたい。一 日刊紙『大民』以前まずは、坂口が『大民』の主筆となるまでのプロフィールを、菊池知之編著『新聞人 坂口二郎 明治編』(草文書林、一九九二年)所収の「略伝」「坂口二郎略年譜」に拠って紹介しよう。坂口は、一八八〇(明治一三)年五月二四日、福岡県三池郡宮部村(現大牟田市)に生まれ、橘尋常小学校、銀水高等小学校を経て、一八九九年三月、中学伝習館を日刊紙『大民』の題字