ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

坂口 二郎141はじめに一九一三(大正二)年四月、福岡県出身の早稲田大学武道系学生などを中心に、「興国救人」「社会改良」「青年指導」をスローガンに掲げた社会教化啓蒙団体である「青年大民団」が結成された。この青年大民団こそが国士舘の母体と言われている。その理由は、国士舘が、一九一七年一一月四日、青年大民団本部事務所(東京市麻布区笄町一八二番地)内で夜学の私塾として創設されたためである。その後、一九一六年五月二五日、「青年大民団」は、その主張を発信する機関誌の発刊披露会を日比谷・大松閣で開催し、同年六月一五日、月刊誌『大民』を創刊した。『大民』は、一時『大民新聞』、『生存同盟』と名称変更されるが、一九三九年二月一一日、日刊紙『大民』が発行されるまで継続して刊行された。月刊誌『大民』の後をうけて発刊された日刊紙『大国士舘を支えた人々浪江 健雄坂口 二郎1921 年 坂口二郎(菊池知之編著『新聞人 坂口二郎 大正デモクラシー編』草文書林、1993 年より)