ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

ページ
141/182

このページは 国士舘史研究年報第9号 の電子ブックに掲載されている141ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第9号

緒方 竹虎139リスの二大政党制では円滑な政権移動が行われているが、日本では自民党と社会党との間に「国民の常識」に規定された「共通の広場」は無く、このため当分は「保守勢力が祖国再建に当るほかないと考えている」と述べている。ここには「再建趣意書」の文章と通底するものがあり、趣意書に緒方の考えが反映されていることが窺われる。緒方による二大政党制の基礎としても主張されることになる「国民の常識」、「再建趣意書」の表現では「如何なる誘惑の前にも平常心を喪はない人格」の「養成」に加えて、「国の常識に基いて役に立つ人間を作」ることなどが、対日平和条約が発効し日本が独立した直後の時期に、国士舘の教育方針として示されたのである。後にこの「再建趣意書」は政治家・財界人・文化人など二八五名の署名を得て、国士舘の募金活動に活用された。一九五二年八月五日には、国士舘の発展を支え続けることになる「国士舘大学維持員会」が発足した。顧問総代の緒方や会長に就任した小坂順造(信越化学工業社長であり、戦前、防共協定強化同志として、緒方や柴田とともに活動)ら政界・財界などから五二名が会員となった。緒方ら維持員などからは寄付金が寄せられた。また、緒方は幅広い人脈によって国士舘を支えた。緒方や柴田と同じ福岡県出身で文部官僚であった剱木亨弘の回想によれば、柴田は日曜・祭日を除く早朝、緒方家に日参し、緒方からの紹介状を持って有力者を訪ね、学園再建への協力を懇請したという。また、緒方は剱木を自邸に招き、柴田と引き合わせている。この後、柴田は緒方家訪問の帰りに剱木家を訪問するようになり、短期大学設立に関して相談をするなどしたとされる(剱木亨弘『戦後文教風雲録―続牛の歩み』小学館、一九七七年、一七七~一七九頁)。国士舘短期大学は一九五三年四月に創設され、同月二六日に開催された入学式および開学式には、蘇峰や緒方など維持員が臨席した。緒方ら維持員など二一名が出席して、一九五五年五月一九日に開催された「国士舘再建感謝報告会」において、柴田が体育武道の教員養成を軸とする大学の創設に向けて支援を訴えたことが契機となり、翌年四月、短期大学に体育科が増設された。自民党結党の後、党総裁代行委員となった緒方は多忙を極めていたが、一九五五年一一月二五日、体育科の増設に伴って建設されることになった新体育館(後の「第一体育館」)の上棟式に訪れている。一九五六年一月二八日、緒方が急死したため、一九五七年一月二九日に行われた新体育館の落成式では「緒方竹虎先生一週(周)年祭」を合わせて行い、緒方の遺徳