ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

ページ
140/182

このページは 国士舘史研究年報第9号 の電子ブックに掲載されている140ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?138起草とされている「国士舘再建趣意書」には、敗戦後の占領政策によって至徳学園と改称したが、国士舘の名称を復するとした宣言に続いて、以下の文章がある。然らば、本当の人間とは何であるか。今の世においては何等特別の徳操ではない。常識である。平衡を得た人格である。狂人が走つても共に駆け出さない平常心の持主である。事は極めて平凡の様であるが、如何なる威武の下にも、如何なる誘惑の前にも能く平常心を失はず、判断を誤らないことは容易の如くにして決して容易でない。而してそれを能くすると否とは、殆ど繋つて常識を具足するか否かにあるのである。イギリスに空前の総罷業が行はれ、そしてそれが腰砕けに終つた時、ボルドウィン首相は「これは英国民の常識の勝利だ」と叫んだ。正にそれは政府権力の勝利でなく、国民常識の勝利だつたのである。例をイギリスに求めるまでもない。古来国を危くするものは平衡の喪はれた心であり、国の根幹が常識によつて固められるならば、動乱の中に立つても国は危くない。国士舘の養成せんとするものは、この常識であり、如何なる誘惑の前にも平常心を喪はない人格である。今日の教育について種々の批判を聞くなかに、最も大なる欠陥は、その教育の方針が国の常識と懸け離れて居ることである。学問の自由を叫ぶうちに教育の目的を忘れたところにある。役に立つ人を作る代りに役に立たない人を作りつゝあることである。国士舘は深く日本の将来を考へ、国の常識に基いて役に立つ人間を作りたい、それが念願である。[後略]緒方の起草とされているのは、新聞記者として、また東久邇宮内閣では首相の演説や放送などの原稿を、吉田内閣では首相の演説草稿の作成を行うなど健筆をふるった実績によるためだろう。また、イギリス政府・経営者が石炭産業の合理化を要求したことに対して、労働組合会議(労働組合のナショナルセンター)が一九二六年五月四日から一二日にかけて実施したゼネラル・ストライキを例示して述べている「国民常識」については、同様の表現が緒方の他の文章にみられる。一九五五年一一月の自民党結党直後、日本における二大政党制の今後のあり方を論じた「私の政治理念」において、緒方は「国民の常識」に規定された国策の「共通な広場」があるイギ