ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

緒方 竹虎137行動は、同郷者の人的ネットワークの中で行われたものであったといえる。ただし、その根底には、同郷者に対する親近感だけではなく、以下に述べるように反共産主義があった。緒方は、日独防共協定に対する一般の認識を高めることを目的とした民間有志の集まりである「日独防共協定強化同志」の一人であった。反共主義の立場が鮮明であるこの団体の「宣言」(一九三七年九月三日、可決)を起草したのは蘇峰であり、頭山、中野、柴田なども名を連ねた。緒方、柴田などが参加した実行委員会は、協定締結一周年の祝賀会や記念講演会などを企画・開催した。イタリアが防共協定に加わった翌年の一九三八年二月には「日独伊防共協定強化同志」と改称し、同年一一月二四日には有田八郎外相のほか、駐日イタリア・ドイツ両大使、満州国大使、貴族院議員、陸・海軍人、官僚など三五〇余名参加のもと、防共協定締結の記念祝賀会を開催しており、緒方、柴田も出席している。日独伊三国同盟が締結された翌月、一九四〇年一〇月二一日に日比谷公会堂で開催された「大詔奉戴三国同盟推進大会」には、柴田、花田半助といった国士舘関係者らとともに緒方も参加し、緒方の発声によって「日独伊三国同盟の万歳」が三唱された。緒方は、一九四〇年八月に開催された朝日新聞の方針を決定する編集会議において、国際政治におけるドイツ、イタリアの比重が重くなってきていることに加え、防共協定の関係から日独伊三国同盟に反対できない旨の発言をしている。緒方のこの発言の背景には、上述したように反共産主義を掲げる団体における具体的な行動があり、そこでの人脈は同郷者や国士舘のそれと重なっていた。三 戦後の国士舘との関わり第二次世界大戦後の一九五二(昭和二七)年五月一日、緒方は交詢社において国士舘再建のために開催された会議に出席した。略歴で確認したように、緒方の公職追放が解除されたのは一九五一年八月であり、解除によって学校法人(一九四六年一月、財団法人の名称を国士舘から至徳学園に改称、五一年三月に学校法人至徳学園となる)への関与が表だってできるようになったことが、会議へ出席した理由と思われる。この会議には、緒方や柴田のほか、元外相で緒方や柴田らとともに防共協定強化同志として活動した経験をもつ有田八郎など計八名が出席している。会議と同日の日付が記され、緒方の