ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

ページ
136/182

このページは 国士舘史研究年報第9号 の電子ブックに掲載されている136ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?134基本的な文献は、緒方竹虎傳記刊行會編著『緒方竹虎』(朝日新聞社、一九六三年)であり、渡邊行男『緒方竹虎 リベラルを貫く』(弦書房、二〇〇六年)などもこの伝記に多くを負っている。また、緒方の死の直後、彼と所縁が深い人物が寄稿した、桜井清編『回想の緒方竹虎』(東京と福岡社、一九五六年)には、緒方にまつわる様々なエピソードが記されている。学術研究の分野では、栗田直樹の詳細な研究がある。栗田は、戦前・戦後を通じて緒方が一貫した自由主義者であった点を強調する伝記などとは異なり、新聞社時代に培った情報管理の手法と人脈を武器にして戦時・戦後の政治の主宰者となっていく点に注目している(『緒方竹虎―情報組織の主宰者―』吉川弘文館、一九九六年、日本歴史学会編『緒方竹虎』吉川弘文館、二〇〇一年)。緒方に関する基本的な情報については以上を参照しながら、以下では緒方と国士舘との関わりを探ることを通じて、国士舘創立一〇〇周年に至る歩みの一端を振り返ってみたい。一 緒方の略歴緒方竹虎は、一八八八(明治二一)年一月三〇日、山形県書記官を務める父・道平と母・久重の三男として山形市旅籠町に生まれた。緒方が四歳になった一八九二年、父親の福岡県書記官への異動に伴い、福岡市へ移住する。福岡師範学校附属小学校、福岡県立中学修猷館に学んだ後、中国相手の商売を行う志を抱いて、一九〇六年、東京高等商業学校(現一橋大学)に入学したが、一九〇八年七月に退学。この後、竹馬の友であった中野正剛のすすめにより、一九〇九年九月、早稲田大学専門部政治経済科第二学年に編入学した。卒業後の一九一一年一一月、朝日新聞社に勤務していた中野の紹介により大阪朝日新聞社に入社。イギリスへの留学期間を挟んで朝日新聞社での地歩を固めてゆき、一九二五年二月、三八歳の若さで東京朝日新聞の編集局長となり、一九三四年四月東京朝日新聞の主筆、一九三六年五月には一本化された大阪朝日新聞、東京朝日新聞の主筆に就任し、一九四三年一二月までその地位にあった。一九四四年七月、朝日新聞社取締役・副社長を辞任した後に政界へ転じ、小磯国昭内閣の国務大臣兼情報局総裁、鈴木貫太郎内閣の内閣顧問となり、情報政策の強化や本土決戦に備えた国民義勇隊の組織化に尽力する。一九四五年八月、敗戦処理にあたった東久邇宮内閣では国務大臣兼内閣書記官長兼情報局総裁に就任し、内閣全