ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?130に日本体育協会上級水泳指導員(マスター称号)となり、東京都水泳協会指導者委員会に属している。現在も国分寺市など四市のプールで水泳の指導を行っている。なお、一九九四年の尾迫氏の津軽海峡横断のサポートを務めたのが筆者であった。この時、私は海峡横断の事前準備や先導をしてくれる漁船の船長との信頼関係の構築など、地元との連携の重要性を痛感した。尾迫氏と私が横断後、北海道福島町の海岸に上陸した瞬間を撮影し、疲労困憊の極みにあった私達の介抱までしてくれた森征人氏と結ばれた深い縁は、現在も続いている。また、上陸後に飲み物とパンを差し入れてくれた前田勝広氏とは、本稿の取材のために福島町役場を訪れた時、二三年ぶりの再会を果たした。教育長である前田氏と私はお互いに手を取り合ったまま、しばらく言葉が出せなかった。さらに、後日、尾迫氏が北海道側から青森県側への津軽海峡横断といった、以前とは逆コースからの横断に挑戦した時、伴走船の船長を務めてくれた水嶋光弘氏からは、本稿で記した津軽海峡の潮目の解析について助言を受けるなど時を越えた友情が続いている。さらに中島の意思を継ぐ人物として、石井晴幸氏の名は欠かすことはできない。彼自身も中島の思想・哲学に影響を受けたひとりで、一九九一年八月、ドーバー海峡の遠泳横断に挑戦。その後に、トラジオンスイミングクラブおよび海峡横断泳実行委員会を設立。自ら会長となって後進の道を開く活動を行っている。魚の泳ぎはそれ自体に大きな意味はなく、きわめて当り前のことです。しかし、人間の泳ぎは泳ぐことによって多方面にわたって良い影響が生まれなければなりません。ここに、人間と魚の泳ぎの違いがあるものと思います。[中略]生命を守る手段としての泳ぎ、泳ぎを通して身心1994 年8 月  津軽海峡横断後の尾迫千恵子氏と筆者(森征人氏撮影)