ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?128に「日本遠泳連盟」を設立した。海は人間の生活に不可欠なものとして、重要な役割を果してきた。反面、毎年のように数千人にもおよぶ痛ましい海難事故を起こし、貴重な生命を奪ってきた。尊い生命保持を第一の目標に、自然の正しい知識や、生きた海での正しい泳ぎの普及をスローガンに、「だれもが参加でき、だれにも愛される」組織を作るために、一〇数年の準備期間を経て、「日本遠泳連盟」として発足した) (1 (。会長には参議院議員・植木光教氏、副会長に財団法人修養団理事長・赤坂繁太氏が就任。そして理事長にユウェナリス・スポーツ・クラブを主宰する中島が就いた。連盟の主題である「自然の正しい知識」や「生きた海での正しい泳ぎ」の実践として、中島は小中学生や女性がリレー方式で行う遠泳の企画を立て、この指導と遠泳を引率する「引率リレー」を通して後進の育成にも尽力していった。こうして海洋冒険家として順風満帆、まさに中島の活躍は子供や婦人層にも広く支持されていった。だがそんな中島の内部で、泳ぐことの興味の持ち方が少しずつ変化していった。そのきっかけとなったのが、一九八〇年一月に挑戦したマゼラン海峡の潜水横断であった。中島は、「海面の泳ぎに飽きたわけではないが、水面下の世界がどうなっているのかと言う興味が頭から離れなくなっていたということもあって、ボンベを背負っての潜水横断を選んだ」と語っている) (1 (。一時間三五分の苦闘の末、横断に成功した中島だった。その後も二三時間二〇分の太平洋マラソン遠泳などを行うが、やはり年齢と体力からくる限界のせいだろうか、遠泳への挑戦が激減していったのである。中島は次のように語る。それにしても遠泳は苦しいスポーツだ。世の中表3 中島の遠泳以外の単独挑戦経歴年月日経歴場所距離(㎞) 所要時間記録1983 7/2 伊豆新島~横須賀ボードセーリング伊豆新島~横須賀110 12 時間45 分日本初1984 5/12 グアム~ 日本ボードセーリンググアム島、アガニア湾~鎌倉、由比ヶ浜2700 41 日世界初1985 4 月韓国~日本ボードセーリング釜山~福岡200 20 時間40 分世界初表1 に同じ。