ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?126「港では地元の人びとが大勢出迎えてくれ、『北海道の白神岬から泳いで来たど偉い奴だ』と称えてくれ、もみくちゃにされた」と語っている) (1 (。四 海洋冒険者その後、日本人初の海洋冒険者となった中島は、海の泳ぎの普及と組織化という社会体育の分野に進む第一歩として、一九七一(昭和四六)年五月六日にスポーツクラブ「ユウェナリス・スポーツ・クラブ」を設立。第一回水泳教室を文京区総合体育館室内プールで開催した。参加者はわずかに女性五人と、取材の日刊スポーツ新聞社の加藤哲氏というささやかなスタートだった。しかし、五月一一日の日刊スポーツ紙に紹介されるや、一気に一〇〇人を超す会員に膨れあがる。さらに日が経つにつれて小学生も入会がはじまり、会は次第に盛り上がりはじめていったのである。ちなみにクラブ名の「ユウェナリス」とは、ローマの詩人ユウェナリスの『風刺詩集』をもとにした「健全な精神は健全なる肉体に宿る」をモチーフにしている。ユウェナリスは、スポーツを通して心身の調和ある人間育成を提唱した人であり、いわゆる近代スポーツの根本理念を唱えた人名を日本的にアレンジしてスポーツクラブの名前にしたと中島は語っている) (1 (。こうしてスタートしたユウェナリスは、「泳ぎを覚えて雄大な海に出よう」をスローガンにスタートした。無論、中島個人としてもさらに自身の可能性を探るべく、次々と単独遠泳に挑戦していった。世界の海峡を泳ぎ終えて、中島は言う。海峡横断。それはたかだか海で泳ぐこと、単純な動作のくりかえし、――こういってしまえばそれまでだが、そこにはじつに多くの知識と経験と技術が必要とされる。人生は体験が豊かであればあるほどその人は幸せであるといえると思う。私が良かったと思うのは、たんに海峡横断を経験したというだけでなく、泳ぎを通して多くの人との出会いを体験したことである。言語や風俗は違っても共通の目的に向かって助けあい、励ましあい、感動を分かちあう喜びはなにものにも代えがたい。その喜びがあるかぎり、私の新たな挑戦へのエネルギーも尽きることはないと思っている) (1 (。かくして中島は一九七六年七月一一日、次の考えを基