ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

「泳道」125そこに人水一体の境地が生ずる 泳道一如とは そんな境地ではないだろうか) (1 (今、そんな中島の目指す「道」が、眼前の津軽海峡にこそあった。もとの地点まで戻ると、再び大潮との戦いが始まった。何時間たったかわからない。私はふっと体が軽くなるのを感じた。大潮を泳ぎ切ったのだ。悲愴感が希望に変わった。私は最後の気力を振りしぼって、夕闇せまる竜飛岬の三厩港にゴールインした) (1 (。結局、伴走船の助けを借りて三回ほどコースをリセットしたものの、中島は泳ぎ始めてから一〇時間二〇分後の同日午後五時二〇分、対岸の青森県東津軽郡外ヶ浜町(旧三厩村)龍飛崎に泳ぎ着いたのだった。日本初の偉業を成し遂げたのである。なお、表1(一二七頁参照)にあるように、中島は津軽海峡横断の所要時間を七時間と記しているが、これはコースのリセットに関わる時間を含めていないためと思われる。また、回想に「三厩港」とあるが正確には「龍飛漁港」である。中島は、1967 年8 月 龍飛漁港到達後、地元の出迎えを受ける中島