ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?124暖流と寒流の境であり、またそれぞれの潮の速度によるものである。寒流は海面で縞模様を描きながら、泳者に襲いかかる。潮の速度が作る激流との葛藤のほかに、この潮目は中島の体温も容赦なく奪っていった。中島によれば、「夏とは言いながらも、北の海は冷く、水温は低く、二時間もしたら体が冷えてきた。泳ぎ始めて三時間ぐらいで疲労が襲ってきた」という) 8 (。また、中島は次のようにも語っている。泳いでも泳いでも前に進むどころか、流されていく。何としてもこの潮流を泳ぎ切らなければならない。だが、到達予定点はどんどん遠のいていく。このままでは横断は不可能になっていく。とうとう、伴走船のスタッフが心配して、流された地点まで船で引っ張り戻すことになった) 9 (。三度ほど大きく流され、漁船に引上げられて予定のコースに戻してもらったことについて、中島は次のように語った。潮の流れがあまりに速すぎてこれに対応する泳ぎ方の研究が不足であったこと、ケイレンを起したこと、遠泳時間とエネルギーの関係の調査についてはやはり勉強が足らなかったことなど、いろいろ大きく反省させられることがあります) (1 (。また、水温との戦いも熾烈を極めた。体温の低下と疲労で極度に弱り、途中、幾度も挫折しそうになったが、中島は決して音を上げなかった。子供のころから培ってきた、福島魂の本領発揮である。中島は、歯を食いしばって堪えぬいた。その彼の精神的支柱となっていたのが、「泳道」という言葉だった。中島は自らを「泳士」と名乗っていた。「武士道に通じる」が中島の好きな言葉だった。「泳道」花に華道、茶に茶道、泳ぎにも泳道があっていいと思う。続けてこそ道である。続けることの苦しさや辛さを乗り越えていく過程で、多くのことを学ぶ。それが泳ぎの「道」である) (( (。「泳道一如」泳ぎの道をきわめるには 水と話し合い水の心を知らなければならない