ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

「泳道」123対馬海流と激しくぶつかった時、潮は大きく渦を巻きはじめる。こうした複雑な動きが、古くから船舶の航行を妨げ、難航や遭難を引き起こしてきたのである。さらに今、津軽海峡が横断者の中島を遮る要因の一つに、日本海を南下する寒流であるリマン海流の存在があった。日本海を北上してなだれ込む暖流の対馬海流と、ユーラシア大陸沿いに日本海を南下するリマン海流の温度差である。通常、水は四度で最大密度となる。したがって暖流と寒流がぶつかった場合、水温の低い海流が下へ潜っていく。ところが津軽海峡の場合、かつて陸続きだった頃の名残が、思わぬ悪戯を冒険者に仕掛けてきたのだった。津軽海峡の海底図を見ると、津軽半島から松前半島にかけて馬の背のような小高い尾根状の地形となっている。これが氷河期の当時陸地であった場所で、海峡中央部の海底には水が一気に堰を切って流れた「海釜」も見ることができる。つまり寒暖の二つの海流は、この尾根にぶつかって撹拌されながら、海峡になだれ込んできていたのだった。その小高い尾根状の所を、現代人は青函トンネルで結んだのである。青函トンネルは津軽半島と松前半島の間を、約一万三〇〇〇年振りに陸続きにしたのだった。津軽海峡ではいくつもの潮目が確認できるが、多くは1967 年8 月 津軽海峡を横断する中島