ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

「泳道」121私がこの海峡にチャレンジすることを決心したのは、国士舘大学にはいった一年生のときでした。今振り返ってみるならば、国士舘大学の建学精神と一週一度の館長先生の訓話が、私の心の奥深く響いていったのは言うまでもありません。そしてその時から、津軽海峡の調査を始めました。恩師から青函トンネル工事の調査資料をもらったりして、潮流の最強時が八~九ノットあることが判明した。細々と三年かかって集めた資料は、決して充分ではなかったが、いよいよ大学三年の一九六七年八月に決行しようと決心した) 6 (。中島にとって、夢が目標に変わった瞬間である。三 挑戦一九六七(昭和四二)年八月二七日、ついに津軽海峡横断を決行した。北海道の南端、松前郡福島町白神岬灯台から約一キロ西の岩場の海岸を、午前七時にスタートする。南東二メートルの風、気温二四度、水温二一度とまずまずのコンディションであった。海峡の中央部までは、むしろハ1967 年頃 舘長訓話(『体育学部第9 回卒業アルバム』1968 年3 月)