ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?120大学に入った夏休み、先輩顔をして、中学校の相撲部に稽古に行ったら、今の千代の富士の秋元がいました。中学生と大学生である自分とでは、体力も技術も違いすぎ、文字通りち切っては投げでした。しかし、その中で千代の富士は少し違っていました。すぐに転ばずに足腰が柔かく、粘り強かったのです) 4 (。体格が及ばずに相撲取りをあきらめた中島とは対照的に、素質にも、体格的にも恵まれていながら相撲が大嫌いだった千代の富士が、皮肉にも同郷の横綱・千代の山の九重部屋に入門することとなったのだ。数年ぶりに二人が出会ったのは、浅草にある九重部屋に中島が同級生を訪ねた時のことだった。そこで稽古をしていた千代の富士の姿に、中島は驚いた。「お前来ていたのか」「はあ」これがこの時、二人が交わした唯一の言葉だったという。こうして改めて見ると、同じ町から親方と弟子の二代にわたって不世出の大横綱を輩出し、加えて中島という稀代の海の冒険家を誕生させた福島町(二〇一七年八月現在で人口四二二七人)という土地柄には、尋常ならざるものを感じる。やはり。この町には独特の気質があり、風土が備わっているように思えてならないのである。福島中学校の記念誌『確かな足あと』で、中島は次のような一文を寄せていた。単に「忍耐」などで物事は前進せず、それを超えよう、越えようとする撓まざる挑戦の精神こそが、大事を成し遂げるという“福中魂”の伝統をわれわれは体得していったのである) 5 (。このような地域に繋がる精神性を感じさせるような言葉を発し、福島人気質、福島の風土の伝承を仄めかしていた。こうして、幼き頃からの夢を抱きつつ、中島は上京して国士舘大学へ通うこととなる。当初大学では水泳部に所属せず、レスリング部に籍を置いた。同じ北海道出身で、一時は千代の山に弟子入りした縁をもつ、三歳年長のプロレスラー・グレート小鹿の影響も多分にあったように思われる。ただ、幼き頃の夢を抱いていたことから、中島はすぐに水泳に方向転換をする。