ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

「泳道」117一 津軽海峡はるかな昔から津軽海峡は、ひとたび怒ればすべてを呑み込み、人々の往来を阻む魔の潮流海域と呼ばれていた。津軽半島では天に巻き上がる飛沫の姿を、龍飛崎と名付けて怖れた。また北海道側では、白波蹴立てて荒れ狂う姿に神を見いだし、白神岬と呼んで畏れてきた。いまここに、津軽海峡にかかわる二つの数字が並んでいる。「一〇分」と「一〇時間」という似て非なるこの数字に共通するキーワードは、海峡通過の所要時間である。「一〇分」とは、青函トンネル津軽海峡部分の距離二三・三キロメートルを、最新鋭の新幹線が通過する時間である。ただ、トンネル区間の全長五三・八五キロメートルが一般路線との共用区間であるため、通過する列車の速度は約一四〇キロメートル/時に抑えられている。したがって海峡部分を通過する所要時間は、約一〇評 伝宇田 快やすし「泳道」  ―初めて津軽海峡を泳いで渡った男・中島正一譚―1969 年頃 中島正一(『体育学部第10 回卒業アルバム』1969 年3 月)