ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘の設立とその時代99われる。これは仏教新聞の『明教新誌』に連載されたものをまとめたものだが、活学の語はまだ見えていない。ただし、「余夙ニ仏教ノ世間ニ振ハサルヲ慨シ自ラ其再興ヲ任シテ独力実究スル」、「余カ仏教ヲ助ケテ耶蘇教ヲ排スルハ」(一~二頁)と述べるように、明治初年の神仏判然令も含め、西洋化のなかで社会的に抑圧されがちであった仏教の復権を企図した文脈をみれば、後年に主張される一連の「活」主義の嚆矢と言い得るだろう。また円了における「活」の意義は、彼が戊辰戦争時に旧幕方として敗戦の憂き目にあった長岡藩出身である点にも、来歴的な遠因がみられるかもしれない。(62)井上円了『奮闘哲学』(東亜堂書房、一九一七年)三五~三六頁。(63)佐崎重暉「活学者井上円了先生」(『東洋哲学』第二六篇第八号、一九一九年八月)。(64)花田大助「教育家の猛省を促す」(『大民』第二巻第六号、一九一七年六月)。前掲『国士舘百年史 史料編上』、一四~一五頁所収。(65)註(57)、六〇頁。(66)註(57)、六一~六二頁。(67)註(31)、前掲『国士舘百年史 史料編上』、八四~八五頁所収。(68)註(57)、六三頁。(69)この「国士」の養成は、本文で取り上げた玉川学園においても共有される人間教育であった。玉川学園編『東久邇宮様をお迎へして』(玉川学園報国団、一九四一年)には、「玉川塾の教育目標」として以下が掲げられている。「労作を基底とする塾生活によりて明治以来の偏知教育よりして、利己主義と現実偏重に堕せし多くの弊を救ひ、人間本来の性にかなつた教育に建て直し、真の皇国臣民を錬成したいのが念願であります」。また「新国士の養成」として、「君国への没我的尽忠、全体的統制、社会的訓練、国際的理解等の国民的条件を体得し[中略]松陰先生の如く燃ゆる愛国心と広く世界に知識を求むる好学心とを兼備し、国家をかつぎ、アジアを背負ひ、世界文化に尽し得る新国士を養成したいものです」(以上、七七頁)。ここからは、明治以来の偏向教育の克服や、吉田松陰にモデルを求めるロジックなども含め、新教育の旗手でもあった小原の玉川学園においても、国士舘とおおよそ同じ地平での国士養成(人間教育)