ブックタイトル国士舘史研究年報第9号

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概要

国士舘史研究年報第9号

国士舘史研究年報2017 楓?98の哲学」の系譜」(ともに註(27)所収)を参照。(47)「大正生命主義という概念はかなり大きな括りであり、その括りは基本的に生命を理念化しているように見える。たしかに大正新教育の論者の多くが「生命」を理念化している。[中略]しかし、彼らのいう「生命」は、規範としての理念だろうか、その「生命」は、理念として語られているが、すでに在るところの不可視の前提、いわば存在論的事実ではないだろうか」(田中智志「思想としての大正新教育へ― 呼応し躍動するアガペー」、註(27)、五二九~五三〇頁)との指摘からは、少なくともそれが積極的に論じられるテーマではないことが見てとれよう。(48)註(27)、二九頁。(49)註(42)、三五頁。(50)同前。(51)「国家の大本は文教に在り」、「是れ活学の大道場」、「国士館附帯事業の計画」(いずれも『大民』第五巻第一号、一九一九年一〇月)、「国士館移設趣旨」(一九一八年八月)など。いずれも、前掲『国士舘百年史 史料編上』所収。(52)註(31)、前掲『国士舘百年史 史料編上』、八三~八四頁所収。(53)「国家の大本は文教に在り」(『大民』第五巻第一号、一九一九年一〇月)、前掲『国士舘百年史 史料編上』、九二頁所収。(54)語釈は、「書物などによるものではなく、実際に見聞きしたり、観察したりして身につける学問」と記される。基本的な意味は本稿で扱う活学と重なるものの、ここには生命主義的な文脈は読み取れない。『日本国語大辞典(第二版)』第三巻(小学館、二〇〇一年)七八〇頁。(55)三宅空々「活学問」(『穎才新誌』九七七号、一八九六年五月)三頁。(56)大隈重信「近時世に云ふ活学問説は大間違ひ 活人物と死人物如何」(『商工世界太平洋』九巻二一号、一九一〇年一〇月)一三頁。(57)井上円了『教育的世界観及人生観』( 金港堂、一八九八年)一頁。(58)以下の引用は、それぞれ、同前、三六~三七頁。(59)同前、九頁。(60)同前、三九~四〇頁。(61)ちなみに、円了が「活」の字を用いた早い事例は『仏教活論序論』(哲学書院、一八八七年)かと思