ブックタイトル国士舘史研究年報第9号
- ページ
- 10/182
このページは 国士舘史研究年報第9号 の電子ブックに掲載されている10ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 国士舘史研究年報第9号 の電子ブックに掲載されている10ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
国士舘史研究年報第9号
戦後の復興と再建第二次世界大戦の敗戦後、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策によって、国士舘は、武道教育の禁止や「至徳学園」への校名変更を余儀なくされ、苦難の時期を迎えた。一九五二(昭和二七)年五月、緒方竹虎らによる「国士舘再建趣意書」を発表し、八月には「国士舘大学維持員会」が発足して、国士舘の再建を支えた。19461947年8 月 焼け野原となった国士舘付近(GHQ 撮影/国土地理院所蔵)1946年 復学した学生1946年頃 至徳中学校の英語授業1948年頃 壇上の校長鮎沢巌 1945年12月20日 校名変更申請書1952年5 月1 日 国士舘再建の会議