調査活動報告

アッタール洞窟遺跡

戻る

大空は飽くまでも蒼く、地平線は丸みを帯びて、ずんずん後退する。ここはカルバラ台地である。厚い石膏層の上に積もった沙漠砂は滑り易い。35km付近で突然大地が割れて、崖線際、車窓の右手に入母屋風の屋根をかけたような礫層をのせた岩山が視界に飛び込んできた。アッタール洞窟A丘である。礫層の下では、テラスを付けた窓状の開口部が一列に、一定の間隔を置いて水平に掘削されている。天井面は水平に堆積している青色泥灰岩層で、上層は79.5m、下層は75.5mを保ち、これに続く茶褐色泥灰岩層は、前後の見通しがきかないように、岩壁が削られ、床面は凹凸に起伏し、中には落差が4~5mに及ぶものもある。つまり、泥灰岩層には、SW-NE方向とNW-SE方向にクラックが走っているので、これに沿い、かなりの数の方形の部屋と部屋間を結ぶ通路が掘削された。クラックは、泥灰岩層の下の硬砂岩層面で止まっている。

 

イラク考古庁は、洞窟の成因を単に、水蝕や風蝕などの自然の營力に因るものと考え、また考古学的にも、この洞窟を利用した集団の痕跡はないと主張した。これに対し私は、アラビア内陸部から、ワディ・ウバイド沿いにバビロニア地方へ移動する民族・集団に対し監視哨的な機能を果たすべく、泥灰岩層のクラックを利用して掘削された施設と反論した。この結果、イラク政府は外交ルートを通じて私に調査を要請してきた。これが今日まで続くイラク調査の始まりでもあり、研究所創設のきっかけでもある。

 

出土遺物での圧巻は、約5000点余の染織品の断片資料である。その大部分は、ヒツジ、ヤギ、カシミヤ、ラクダ等の獣毛繊維で、綿、亜麻、藺草は検出されたが、絹製品は皆無。ここで、注意すべきは、埋葬例として、礫を均して作った床面の上に、藺草で編んだゴザを敷き、その上にパイル織物を重ね、その上に、生前、本人が着用していた織物で、くるまれた遺体が置かれている。これは、今日のイラク人が叩きしめた土間の上に藺草製のゴザを敷き、その上にパイル織物を敷いて生活している様式と合致する。織構成では、パイル織、ゴザ等の厚手の織物を織る時、経糸に、カシミヤ、ラクダ、ヤギのいずれかの繊維が羊の繊維と撚り合わせた杢糸(もくいと)を使っている。これは経糸の寸法変化を防ぎ、織物全体の形崩れを生じないようにするためである。

 

チュニックにデザインされた葡萄文帯、花樹文帯、卍文帯や袈裟風の巻衣に見られるH文、Γ文、葡萄文、花樹文は、西暦前1~西暦3世紀、南ジャジーラ草原において、ローマ、パルティア、ササン朝ペルシアと対等の戦いを演じたハトラの王侯、僧官、貴族等の人物像が着装している服装の文様である。また、それ等が東地中海沿岸各地域の神殿のフレスコ画や壁画と共通点を持つ事にも、注目したい。

アッタール洞窟出土の染織品

黄色の王冠を被る人物像綴織黄色の王冠を被る人物像綴織

イラク西南砂漠にあるアッタール洞窟から沢山の毛織物や麻、綿織物が出土した。その中から代表的な織物を紹介しよう。

 

その第一は、人物文綴(つづれ)織である。綴織とは多色の緯糸が全幅通されるわけでなく、文様に応じて引き返し、色文様を表す織り技法で織られた織物である。綴織にはブドウの葉と実をあしらった髪飾りをつけたディオニソス(ローマ神話ではバッカス)や、王らしい人物や貴婦人が表されている。王らしい人物は色が薄くなってよくわからないが黄色の王冠をかぶっている。その図像の表し方は斜め描写でギリシャ・ローマの様式である。顔や首筋は色を徐々に変化させる暈繝(うんげん)の手法や綴織の一技法である流し織を用いて立体的に見えるように工夫してされている。

 

これらの綴織りは大きなマントに縫いつけられていた痕跡がある。これらの綴織紋章を縫いつけたマントを身につけた人物はどのような立場の人だったのだろうか。

  • ディオニソス像綴織ディオニソス像綴織
  • 帽子を被る貴婦人像綴織帽子を被る貴婦人像綴織

次ぎに挙げるのは織物全体に植物文、暈繝、波頭文が表された綴織である。この三種の文様を一枚の布に表現しているデザインが1~3世紀の地中海の東岸地域の特徴である。文様は横縞として織るが、チュニックとして着るときは真ん中で縦二つに折り、織るとき開けられたスリットに頭を通して身につけると、衣服は縦縞文様となる。

ブドウ文綴織ブドウ文綴織
H文、方形文付き大布H文、方形文付き大布

第三の織物は大きくてソフトなオフホワイトの布に赤紫色でHや方形の文様を織り出したマントである。この紫の色は貝紫でそめられている。貝紫は沢山の貝から僅かの染料しか取れない貴重品で、王侯しか使うことが出来ないと言われている。マントによっては貝紫でない藍と茜あるいはケルメスを混ぜて作った偽紫のものもある。

 

このH文が表されたマントを身につけ、香炉を持ったハトラの人物像があり、ドゥラ・エウロポスの神殿にはこのマントを身につけている壁画がある。信仰に関係する儀礼のときに着たものと考えられる。

ラグの復原図ラグの復原図

最後にパイル織物(ラグ)を紹介しよう。出土したラグは今日の絨毯と違って5cm位の長いパイル糸が粗く結ばれている。ラグの四隅に三角形のコーナーが表されている。このラグは後世の絨毯デザインのはしりと考えられる。

花樹文帯綴織花樹文帯綴織

以上紹介したアッタール出土の染織品はほんの数例である。その他にも二千年近くなるにもかかわらず美しい色を保っている織物が沢山ある。メソポタミアで無比の貴重な染織資料といっても過言ではない。

イラク、アッタール洞窟遺跡、出土品等の主要参考文献

Hideo Fujii編著、1976、Al-Tar I, Excavations in Iraq.1971~1974。Hideo Fujii他、1980『ラーフィダーン』第1巻、特集記事:イラク、アル・タール出土の染織・皮革遺物の研究、他、『ラーフィダーン』第3-4巻(1982-83)第5-6巻(1984-85)第7巻(1986)第9巻(1988)、第10巻(1989)、第11巻(1990)、第12巻(1991)、第13巻(1992)、第14巻(1993)、第15巻(1994)、第17巻(1996)、第18巻(1997)、第25巻(2004)に掲載。

ページの先頭へ