ドキュメント国士舘

夢をあきらめない 国士舘大学
体育学部の陶冶

編集部:国士舘大学の体育学部は、どんな学びの場なのでしょうか?

 私塾國士館が創立したのは大正6年(1917年)で、今から103年前のことです。国士舘には「建学の精神」があり、それは国を思い世のため人のために尽くす人材「国士」の養成です。そのために教育の理念として「誠意・勤労・見識・気魄」の四徳目を養う教育があり、さらに指針として不断の「読書・体験・反省」を実践し思索することで、これは今もなお変わらずに受継がれております。
 私塾國士館が「国士舘大学」になったのは、昭和33年(1958年)のことで、そのとき設置されたのが「体育学部」でした。つまり、体育学部は国士舘大学の中で最も歴史ある学部であり、建学の精神を体現する「場」でもあったのです。
 体育学部「体育学科」に加えて「武道学科」と「スポーツ医科学科」が誕生したのが平成12年(2000年)のこと。さらに平成20年(2008年)には「こどもスポーツ教育学科」も設立され、現在は1学部4学科になり、体育・スポーツを通じた学びの幅を広げています。

編集部:4つの学科の特徴を、それぞれ簡単に教えていただけますでしょうか。

 「体育学科」には、教員を目指す「学校体育コース」、トップアスリートを目指す「アスリートコース」、トレーナーを目指す「スポーツトレーナーコース」があり、各自の夢の実現に向かって精進しています。
 「武道学科」は名前の通り「武道」の学びを主軸とし、中高保健体育教員や武道指導者、トップレベルの競技者の育成を目指しています。
 「スポーツ医科学科」は日本ではじめて救急救命士の育成に主眼を置いた学科で、全員が国家資格である「救急救命士」の資格取得を目指し、これまでに2,000人を超えるすぐれた救急救命士を輩出しています。
 そして、「こどもスポーツ教育学科」は、小学校教員免許、中高保健体育教員免許の同時取得が可能な学科で、体育・スポーツ活動を通じた学校づくりに貢献できる小中高の教員養成を目指しています。
 このように“体育・スポーツ”を中心にしたさまざまな学びを修められるのが国士舘大学体育学部の特長で、学生たちの将来の進路も幅広いものになっています。

編集部:体育学部のキャンパスを訪れていつも感じるのは、学生の礼儀正しさです。
何か特別な指導を行っているのですか?

 みなさん、そうおっしゃってくださいますね。 「体育の学生は元気がよくて、気持ちよくあいさつしてくれる」と。学部として特に指導はしていませんが、武道やスポーツに関わっている学生が多いので、自然にそのような振る舞いが身に付いているのでしょう。おそらく先輩がやっているのを見て、それを手本に後輩も続いていく。そういう代々受け継がれていく文化のようなものが醸成されているのだと思います。
 初めにも申しましたが、「体育学部」は、国士舘大学の誕生と同時にできた学部です。だから外部の人も、国士舘大学といえばまず体育学部を思い浮かべる方が多いようです。そういう意味で、体育学部は国士舘大学を引っ張っていくフラッグシップ的な存在なのだと私は思っています。
 今年は残念ながらコロナ禍で入学式ができませんでしたが、9月に新入生向けの交流会があって、その場で私は学生に次のように話しました。「君たち体育学部の学生は、国士舘大学を代表する者として見られているのだから、そのことを肝に銘じて行動してほしい」と。特に「あいさつしなさい」といった指導はしていませんが、学生自らが進んであいさつするということは、私たちの思いに学生たちが応えてくれている証拠ではないでしょうか。

編集部:新入生に向けたメッセージの中で、先生は「コロナ禍に負けないでほしい」ということをおっしゃっていますね。もう少し詳しく教えていただけますか。

 今年の入学生諸君は、本当に大変な思いをされたと思います。せっかく大学に入って、さぁこれから勉強ができる、友達を作ってサークル活動もできるというときに、足もとをすくわれてしまったのですから。体育学部の学生の中には、オリンピック・パラリンピックでのボランティア活動を楽しみにしていた者もいると思います。それが延期になってしまい、無念な気持ちでいっぱいだったでしょう。大変だったのは学生ばかりではありません。私たち教職員も対面授業ができなくなり、戸惑い、対応に苦慮しました。
 ただ、私が新入生に言いたかったのは、こんな事態になって「あーあ、だめだぁ」と落ち込むのではなくて、「こんな経験、めったにできないぞ」とポジティブに捉えてほしいということです。誰も経験したことのない困難に直面し、それを乗り越えた経験は、必ずや自分の役に立つはずです。教員も同じです。いままで当たり前のようにやっていた授業ができなくなった。「大変だなぁ」と思うのではなく、「どうやったらオンラインでいい授業ができるか」、いままでの授業のやり方を振り返り、教育の本質がどこにあるかを改めて考えるいい機会になりました。悪いことがあっても、負けずに工夫や努力をすれば、決して負の側面だけではなくなります。みんなには心を強く持って、ポジティブに過ごしてほしいと思っています。

編集部:考え方次第で、ピンチはチャンスになりうるということですね。

 そうですね。今回の新型コロナウイルスだけではなく、いままで人類はさまざまなパンデミックの危機に晒されてきました。私塾國士館の創立は1917年ですが、その翌年にはスペイン風邪が大流行して、大勢の人が亡くなっています。もっと遡れば、ヨーロッパではペストやコレラの流行もありました。日本でも江戸時代に伝染病が流行り、人々がソーシャルディスタンスを取ったことがあるそうです。ワクチンや特効薬のない時代ですので、「三密を避ける」という基本的な対策をしっかり守ることで、人々は病魔に打ち勝ってきたのです。たとえば、こうしたことからも、私たちは大切なことを学ぶことができます。
 ともすると、私たちの目はつい派手なものばかりに向いてしまいます。華々しい成果や活躍に憧れて、その下にある単純で基本的な努力を見過ごしてしまうのです。でも、本当はそうじゃない。一見地味なように思える基本的な部分にこそ、華々しい成果を支える力があるのです。国士舘大学のキャッチフレーズに「夢をあきらめない」というのがあります。夢を実現するためには派手なものばかりを見ていてはだめで、基本や基礎をしっかり固めておく必要がある。華々しい成果はその基礎の上におのずと現れてくるものなのです。地味なようだけど、「三密を避ける」という基本を大切にすることで病魔に打ち勝つことができる。今回のコロナ禍からは、そんなことも学ぶことができるんですね。

編集部:新型コロナウイルスの感染を防ぐために、体育学部としてはどのような工夫をなさったのですか?

 国士舘大学には危機管理のための「総合安全会議」というものがあって、そこで専門家のアドバイスをいただきながら、きちんとした感染対策のルールを作り、それを厳守しながら部分的に授業を再開しました。最も早く対面型の授業を再開したのはスポーツ医科学科です。ここには9名の医師免許を持つ先生方がいますので、厳しいガイドラインを守りつつ細心の注意を払いながら、春期から実習の授業を再開しました。
 授業が始まる2週間前から、学生にも毎日体温を測ってもらい、発熱がないことを確かめた上で、当日も検温を実施し、体調に異常がない者にのみ授業を受けてもらっています。また、対面授業は、マスクをした上でさらにフェイスシールド装着し、ソーシャルディスタンスを保ちながら行っています。もちろんこれだけ気をつけていても、絶対に感染者が出ないとは言い切れません。万一、感染者が出た場合にはどうするか、その連絡や対応なども、すべて事前にマニュアルを作って取り決めてあります。

編集部:先生は外科の医師とうかがっています。
どのような経緯で国士舘大学に来られたのでしょうか?

 私は、東京医科歯科大学等で外科医の研究及び診療に携わっていました。外科といってもいろいろあって、いろんな手術をやりましたね。胃がん、大腸がん、胆石、乳がんや痔などの外科全般にわたって手術を行っていました。そんな中で最終的に専門にしたのが、血管外科です。心臓以外の全身の血管系の病気、たとえば腹部大動脈瘤の切除ですとか、動脈硬化等で詰まってしまった動脈をちゃんと血液が流れるようにする手術を行っていました。
 2000年に国士舘大学体育学部に、救急救命士を養成するための「スポーツ医科学科」が誕生します。その4年ぐらい前ですが、元体育学部長をされていた大澤現理事長と共にスポーツ医科学科開設に関わっていた大学の大先輩である天羽先生(前国士舘理事)から「新学科の開設を手伝ってくれ」とお声がけをいただきました。救急救命士を育成する学科の設置は4年制大学でははじめてで、私は新しいものに興味がありお手伝いをすることになりました。
 準備の段階から関わったので、結構大変でした。なんといっても世の中にない新しいものを作るのですから、抵抗や反対の意見もあるわけです。救急救命士の受験資格は、専門学校に通えば3年ぐらいで受験の資格は取得できます。なぜ、4年制の大学で教えるのか。その必要性はどこにあるのか、といった議論がありました。
 今はもう設立から20年が経ち、国士舘大学の「スポーツ医科学科」といえば「救急救命士を養成するところ」という認知が広まっています。ただ、開設当時は名前にスポーツが付いているので、オープンキャンパスのときなどは、「スポーツドクターになりたいんですが」とか「スポーツトレーナーになれるんですか」といった質問をいただいて困惑しました(笑)。

編集部:4年制の大学で救急救命士の学びを修める意義は、どこにあるとお思いですか?

 正直いって、専門の受験資格を取るだけなら、3年間あれば間に合うと思います。ただ、大学は専門の知識を学ぶためだけの場所ではありません。広く「教養」を身に付け、人間として成長していく場所だと私は思っています。初めにも申しましたが、本学には建学の精神があり、「誠意・勤労・見識・気魄」の四徳目を養うことを教育の理念として掲げています。大学の「4年間」という時間には、人として幅広く学び、成長してほしいという願いが込められているのです。
 大学というところは、一見何の役に立つか分からないことも含めて学ぶ場ではないかと私は考えています。無駄のように思えるかもしれないけれど、いろいろ学ぶことでその人の「引き出し」が増えていくのです。そして、多くの引き出しを持つことで、人間の幅は広がっていきます。
 「陶冶(とうや)する」という言葉があります。もともとは鋳物や陶器をつくるという意味ですが、そこから転じて「人間性を高める」という意味を持つようになりました。私は、大学というのはまさに「人格を陶冶する」ところなのだと思います。専門の学びだけなら3年で足ります。でも、余白の1年でいろんなことを学んだり、友達を作ったり、サークル活動をしたりして、人間としての引き出しをたくさん作ることができます。そこに大学教育の価値があると思います。
 医師も同じです。病気を治すだけが仕事ではありません。患者さんという人間の全体を理解してこそ、ちゃんとした医療ができるわけで、優秀な医師になるためには、人間として成長することが必要なのです。救急救命士も同じですね。彼・彼女らは、医療が始まる前の最も不安な時期に患者さんと接することになります。そこで求められるのは、杓子定規なものではなく、相手を思いやる臨機応変な対応です。だからこそ、大学の4年間の学びを通して「人格を陶冶」してほしいと思います。そして、人の気持ちの分かる救急救命士になってほしいのです。

編集部:最後になりますが、体育学部の学びを通して、どんな人材を育成したいとお考えですか?

 そうですね。専門分野の高度な学びも大切ですが、私としては「基礎」となる部分をしっかり学び、身に付けてほしいと思っています。体育学部の4年間で、基礎・専門性を身に付けながら、人間として成長してほしいですね。
 というのは、大学の4年間で学べることは限られているからです。たった4年で必要なことをすべて学べるわけがない。それよりも重要なのは、先ほども申しましたように、人として成長することだと思います。
 たとえば、社会に出て新しい問題や壁にぶち当たったとき、どうやってそれを解決し乗り越えていくか、それを学ぶのも大学です。人間としての引き出しが多ければ、それだけ解決策も見出しやすくなります。引き出しというのは、知識だけではありません。友人や先輩、先生との関係も引き出しのひとつです。困難に出会ったとき、相談できる友達や先輩がいるのは心強いことです。そういう人間としての繋がりも、大学では作ることができます。
 大学の4年間は、失敗しても許される時期だと思っています。夢に向かって挑戦し、失敗して壁にぶつかる。でも、近くには教員も先輩も友達もいる。そういう人の力を借りながら、壁を乗り越えていくのです。ぶつかりながら、つまずきながら、人として成長していくのです。
 そういう意味で、最初にも申しましたが、今回のコロナ禍も、考えようによっては自分を成長させてくれる経験のひとつになると思います。失敗も成功も、楽しいことも苦しいことも、いろいろ含めて経験です。体育学部の4年間でさまざまなことを学び、いろんな経験をして、人間として成長し、社会に出ていって活躍してもらいたいと願っています。

村岡 幸彦(MURAOKA Yukihiko)教授プロフィール

●博士(医学)/東京医科歯科大学 医学部 医学科卒業
●専門/外科学、血管外科

掲載情報は、2020年のものです。
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